放送禁止歌や発売禁止歌は規制に時間差があり、誰が決めてる?
1. 放送禁止歌放送禁止歌を話題にするとき、「放送されていないのに、なぜ曲が記憶に残っているのだろう?」と不思議がる人は多い。この理由は簡単だ。

ほとんどの放送禁止歌の場合、世に出てから規制を受けるまでに、ある程度のタイムラグがあるからだ。

この時間的誤差がない場合、つまり発売と同時期か直前に規制を受けるケースは、「放送禁止」ではなく「発売禁止」の扱いということになる。シングルの場合は発売を見合わせる事態になるし、アルバムの場合はその曲だけ削除して再プレスされる場合が多いようだ。

レコード会社各社の自主規制と、統括するレコ倫があるという意味合いでは、発売禁止歌の構造は放送禁止歌に近い。山平和彦のデビューアルバム「放送禁止歌」は、この二重の規制に翻弄されたケーススタディとして最適だ。

そもそもは発売前、『放送禁止歌』の歌詞の一節、〈職業軍人 時節到来〉なるフレーズがレコード会社内部で問題となり、〈山平和彦 時節到来〉と山平は歌詞を変えた。しかし発売直後、今度は『大島節』と『月経』の二曲が、発売禁止の指定を受けた。その結果、『月経』と『大島節』はアルバムから削除され、これ以降のプレスにはこの二曲は収録されていない。歌詞→歌詞が持つ意味と音楽の融合で共感を得れればヒットする

こうして再レコーデイングされたアルバム「放送禁止歌」は、再び店頭に並ぶことになった。ところが歌詞を直したはずの『放送禁止歌』は、タイトルが問題になり、さらに最初のプレスに収録されていた『大島節』に対して歌詞が猥雑すぎるという見解が出て、今度はこの二曲に放送禁止という処分が下された(指定は1972年、正確に表現すれば、放送にあたっては注意が必要ですよと民放連が喚起し、テレビ・ラジオなど全ての放送事業主体が、これに全面的に追随したという経緯になる)。

これが山平和彦のデビュー盤の背景だ。まさしくずたずただ。秋田からフォークシンガーになることを夢見て上京してきた19歳の若者が、やっと夢叶って初めて出したデビュー盤は、こうして「世の良識」という不定形な存在から、徹底的に蹂躙され満身創洟でレコード店に置かれていた。発売禁止歌は理屈としては世に出ない。

だから当然ながら放送はされない。その意味では『大島節』は、『放送禁止歌』が話題になったために、双方の規制を受けたレアなケースと言える。システムを挑発するかのように見なされた山平への、お仕置きの意味もあったのかもしれない。では、大手レコード会社から拒絶された後に、レコ倫に加盟していないインディーズで発売するというケースの場合はどうなるのか?

最近では『君が代』をパンク調に歌って大きな話題になった忌野清志郎のアルバムがこの好例だ。このケースは多い。そして同時にこの実態はややこしい。いや正確には、ややこしいというよりも、慣例が未整理で確立されていない。レコ倫も民放連と同様に強制力はない。

したがってインデイーズだからOKという理屈は、実のところは破綻している。インデイーズでなくてもOKなのだ。要するにそれぞれのレコード会社の決断だ。長谷川きよしが歌った『心中日本』は、発売直後にタイトルが暗すぎるとの理由で発売禁止の措置を受け、結局「ノ」という送り仮名を二つジャケットに小さく刷り込んで発売した。

『心ノ中ノ日本』だ。もちろん歌詞との整合性は何もない。放送禁止歌でもない。『心中日本」という曲は公には存在しないのだから。


2.放送禁止歌を決定しているのは?

誰もが放送禁止歌を決定する機関として名をあげる民放連。その民放連が策定する「要注意歌謡曲指定制度」は、放送禁止歌を決定するシステムだと長く思いこまれてきた。しかしその本質は、強制力や拘束力などまったくないガイドラインでしかないことが、取材を通して明白になった。あくまでも各放送局が自主判断をするための一つの目安なのだ。「要注意歌謡曲」という控えめな呼称が、いつのまにか「放送禁止歌」という有無をも言わせない呼称にすりかわっている事実が端的に物語るように、何かがどこかで、いつのまにか変質していた。

発見はそれだけではない。現在僕らがイメージする放送禁止歌のほとんどは、最新の「要注意歌謡曲指定制度」にはいっさい表示されていなかった。なぎらの『悲惨な戦い』と山平の『放送禁止歌』は記載されていた。しかし『イムジン河』や『手紙』、『自衛隊に入ろう』や『竹田の子守唄』など、代表的な放送禁止歌とされているこれらの楽曲の名前はどこにもない。

まだある。「要注意歌謡曲指定制度」は、1983年度版を最後に消滅していた。効力は五年間と表記されているから正確には1988年、要するに僕がテレビ業界に入ったちょうどその頃に、「要注意歌謡曲指定制度」はその機能を完全に失っていたことになる。

砂上の楼閣どころではない。過去においても、そしてもちろん現在も、放送禁止歌は存在していなかった。噂されるほとんどの楽曲は記載されていないし、そのシステムはとっくに消えているし、何よりもそのシステムそのものに実体などなかったのだ。

ところがテレビの制作現場の人間ですら、この経緯やシステムの意味を理解している者はほとんどいない。少なくとも僕の周囲にはいなかった。誰もが「放送を規制するシステム」がどこかにあるものと思いこんでいた。誰もが「確か『竹田の子守唄』は放送禁止だった」などとつぶやきながら、収録や打ち合わせで多忙なテレビ業界人としての日々を送っていた。「放送禁止歌」が既存のシステムであることに疑間を持つ者など、僕も含めて一人もいなかった。


3.リスクを負いたくないから決められた『放送自粛用語』

日本のテレビで仕事をするようになって、デープがまず不思議に思ったのは、膨大な数の「放送禁止用語」の存在だという。やがて、この実態は正確に言えば「放送自粛用語」であることがわかってきた。

デープ「最初の頃は使っちゃいけないその理由を、いちいちスタッフに訊ねていたんだけど、『抗議が来るから』というよくわからない説明がほとんどだった。それでどうやら本来の意味での放送禁止用語は実は一つもないことがわかってきた。これも一種のPCだよね。自粛をする自分を気遣って、規制の主体は他にいるよと暗に伝えているわけでしょうようするに個人としては判断しない。ただリスクを負いたくないってことだけだよね」

ちなみにアメリカにも放送禁止用語はある。FCCが策定したのだから、まさしく禁止された用語といえる。日本には行政が決めた放送禁止用語はない。しかし、各放送局が放送にはふさわしくないとして作成した用語集には何百もの事例が載っている。
アメリカの放送禁止用語は現在5つしかない。以下にあげる。
①FUCK
②GOD DAMN
③ASSHOLE
④BITCH
⑤SHIT
1980年頃までは全部で七つあった。HELLとGOD抜きのDAMNの2つが、この数年で禁止を解除されている。




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