芸能とともに発展した

「邦楽」の90%以上が
日本音楽は、まず伝統音楽と洋楽とに大別できる。そして、伝統音楽は雅楽・能楽などといった、いわば「芸術音楽」と、民俗芸能音楽・民謡などに分かれる。

日本音楽は90%以上は「歌い物」と「語り物」からなる声楽であり、しかも声楽の90%以上が三味線音楽となる。純粋に器楽曲といえるのは、外来音楽である雅楽と、雅楽が俗化して独自の発展を遂げた筝曲の一部しかない。

邦楽の大半を占める声楽が「歌い物」と「語り物」の2つからなるということは、日本音楽の大半が総合芸術として発達し、音だけで成り立っている音楽ではないことも意味してる。具体的にいえば、邦楽の中心をなす三味線音楽は、その源流を仏教音楽に求め、演劇舞踊、 文学とも深い関わりを持ってきた。

つまり、チャイコフスキーの「白鳥の湖」などにしても、その舞台を知った上で聞いた方が数段味わい深いのと同じように、邦楽を聞く際には、本来の形を知らずに音楽を切り離して鑑賞するだけでは不十分であり、その曲にどんな人物が登場し、どんな踊りを演ずるか、などをあらかじめ知っておくと理解が早いということである。

要するに、わが国に楽器だけの純粋音楽が発達しなかったのは、言葉に対する伝統的な考え方が作用していたからであろう。

一方、洋楽が理論的に構築された音楽であるのに対し、邦楽は感覚的に作られている音'楽だともいわれる。

たしかに、邦楽は即興性の強い音楽だ。基本的な法則は決まっているが、その範囲内では比較的自由に演者のフィーリングに任される場合が多く、ある面ではジャズに共通する点があるといっていいだろう。

また、日本音楽にはハーモニーが育たなかった。ただし、それをして日本音楽は単純であると断定するのは間違いである。

たしかに、音の組み合わせは単純である。しかし、一音一音に耳を傾けてみると、その一音の表現するところは深く、むしろ洋楽以上に複雑である。

事実、大編成のシンフォニーが多くの種類の楽器と、多くの音の組み合わせを総動員して表現するのに対して、三味線はただ 一発の切り込むような撥音で、見事なまでに表現しうるのである。

和声機能が発達しなかったのも日本音楽の特徴だが、その代わり「間」を生かして使うおもしろさは洋楽をしのいでいるといってもいいだろう。