日本の歴史からみた文化

日本のヒットソングのほとんどがラブソングな訳日本のヒットソングを見ると、その内容のほとんどはラブソングが多いです。

いい加減ほかに歌うことはないのかとか思いながらも、海外のヒットチャートを考えてみると、もちろんラブソングは多いのですが、宗教的なことや社会問題を真っ正面から取り上げて歌っている歌もやはりたくさんあります。この状況はやはり日本では考えられません。

U2が神への懐疑と消えることのない信仰心の葛藤を歌っている時に、日本では流行のラブソングを批判的に見ていた主人公が、歌うのはやっぱり心のラブソングだったりします。

もちろん、ラブソングがつまらないとか、メッセージソングがより高級だとか言っているのではありません。流行歌の内容が日本と欧米では決定的に違うのではないか?と言っているのです。

一体この差はどこから来ているのでしょうか?こういう話をすると、安易なマスコミ批判だとか、音楽業界批判に終わってしまいがちですが、例えばレコード会社はレコ一ドによる営利追求が仕事なので売れるものを作ろうとします。

つまり、ユーザー側がラブソングを欲しているので、それを作り続けているに過ぎません。もちろん、その前提となる功利主義のみの企業のあり方に批判の入り込む余地はありますが、それがこの状況の根本原因ではないと思います。

では、なぜかと言いますと大雑把な言い方をすれば、やはり文化の差だと思います。人間の感情や気分を表わすうめきやが音楽という形にのって旋律を持ったのは、やはり求愛や労働歌、それに目に見えないものに対する祈りといったモチーフからだと思います。そして、それは人類共通のことでしょう。

しかし、一般の人たちが歌を日常のどんな場面で歌うのかということは、各国の文化によって大きく違ってきたのではないでしょうか?
日本の歌の歴史を見ると、歌垣(うたがき)という風習が全国各地にかなり古くからあるそうです。

これは、歌を掛けあうことから来ているそうですが、古代において春や秋に水辺や広場に多くの男女が集まって互いに歌を掛け合い、それによって結婚相手を見定めるという行事です。

この風習は『古事記』、『日本書紀』、『風土記』、『万葉集』などといったかなり古くの文献にまで出てくるそうなので、日本人の歌との関わり方に大きな影響を及ぼしているのではないでしょうか。

その一番わかりやすい形で、今もなお残っているのが、子供たちの「花一匁」(はないちもんめ)です。二組に分かれて"勝って嬉しい花一匁"と歌い出し、"あの子が欲しい"と続きます。"たんす長持ちどの子が欲しい"という!歌詞が暗示しているように、これは歌によって嫁選び、婿選びをしているのだそうです。

この"歌垣"は日本全国だけではなくアジア全般に広く分布していたらしく、場合によってはその日のうちに、歌垣をして気の合った男女でセックスにまで及ぶことがあったというのですから、カラオケボックスを合コンや男女の出会いの場にしている今の日本人を見ても、古事記の頃と何も変わっていないような気がしますね。また、その盛況ぶりにも納得がいきます。

動物や虫が発情期に相手を求めて鳴き声をあげるのはよく知られていますが、私は人類にとっての歌の起源もやはりこういうところだと思っています。

ですから、その部分でも納得がいきますし、当然こういう風習は欧米にもあったのではないかと思います。昔の時代を描いた映画で、男が見定めた女の家の前に立ち、ラブソングを歌うことで求愛をするというシーンを見た記憶がありますから。

しかし、それだけが流行歌のモチーフではないところを問題にしているのです。要するに、日本人の場合は、歌の対象が大半は恋人なのに対して、欧米人の場合は、そのほかにも神に対して歌うというモチーフがかなり強くあるのではないかと思っているのです。

それは、欧米諸国がキリスト教の圏内にあって子供の頃から教会などで神に対する歌を捧げることが習慣的に行なわれて来たことに関係しているのではないかと思っています。

それは、歌唱スタイルの嗜好にも影響していると思います。日本人のリスナーは耳元でささやくような、鼻歌的な歌や音程の不安定な素人っぽい歌を平気で受け入れますが、欧米のリスナーはやはり天に向かっていくような堂々とした発声や音程、リズムなど完璧な歌唱を歌に求める傾向が強いようです。

そこには、天上にすむ完璧な神に完璧な歌を捧げるというテーマを感じてしまいます。