海外のカラオケとの違い

海外進出するカラオケ技術海外においては多くの人が飲食するパブやバーで提供されるほうが多く、日本のように個室を用いたカラオケボックス形式は少ないですが、最近はカラオケもどんどん普及しており、北米は日本とほぼ同様のカラオケBOX形態です。コリアンタウン等では韓国人向け(オールハングル)のお店も見あります。

ロスでは日本のカラオケの機械と日本の歌本で駐在員向けに営業しているお店もあるくらいで、南米は、日系人がやっているカラオケ店がポツポツあるようです。店舗名も漢字だったりしますので直ぐに判ります。

アジア圏は、台湾、香港、中国、韓国、タイ、ベトナム、フィリピン、マレーシアなど店舗が無数にあります。
特に韓国、中国をはじめ、ベトナムやラオスなどではカラオケは地元の人に大人気です。特にベトナムでは食事会の2次会などでは必ずと言っていいほど毎回老若男女大勢でカラオケ屋に繰り出します。日本語の曲はひとつもないです。

一方、中国やベトナムなどでも日本人相手のカラオケ屋もあります。そういう店では女の子が付くことが多く、日本の曲も場所によっては最新のものまで数多くあります。日本人相手のカラオケ屋といえばタイのバンコクが有名ですが、バンコクには女の子が付くカラオケ屋の他にも日本的なカラオケ BOXや、小さい個室の一人カラオケ、バーカウンターのある日本のスナック的なカラオケ屋もあります。どこの国でも日本人相手のカラオケ屋には日本の歌がうまい娘が何人かいて、彼女らの歌を聴くだけでも楽しめます。



海外カラオケのかたち

KARA0KEは、日本特有の装置、日本の生活文化というよりは、とにかく合唱用に便利な伴奏装置として、イギリスの庶民に浸透しています。

ホテルでは、夜の食事をおえた人々がサロンで、流しのギター弾きを囲んで合唱をやっており、イギリスの民謡、アメリカ生まれのポピュラーソングなど、少しは知っている曲が歌われているのです。こうした流しの楽器奏者をリーダーにしてつくりあげられる唄の輪は、 新しく入ってきたカラオケの受容の形にも影響しているに違いありません。

既存の合唱の伝統が存在し、そこに新しい装置が加わった、と考えてよいでしょう。流しのギター弾きは、かつての日本にもいました。いまはほとんどみられませんが、イギリスでも似た事情がありそうです。

従来の「文化」の体系を形づくっていた一部がなくなり、しかし全体への欲求はなくならないとき、欠けたところを補う文化「部品」が求められる。イギリスでのカラオケ人気は、合唱文化を維持する「部品」として歓迎された面がうかがえます。

外国人はカラオケが日本語であることも、日本生まれの装置であることもまったく知りません。また、備えられている曲も、すべてイギリスもしくは他のヨーロッパの歌だった。

このような事態は、かつての日本文化の海外進出にはあまりなかったことだろう。従来、日本文化紹介の名のもとに行われてきたのは、他の地域には見られない、いかにも日本独特の雰囲気をもつものの紹介だった。 しかも外国人にすぐには納得できないものを持ち出し、神秘的な日本に仕立て上げる手法に乗っかったものが多かった。茶道しかり、華道もまたしかりです。

日本をわかってほしいといいながら、わからない日本をあえて持ち出す姿勢が目につきます。それは結局、神秘的な日本を強調し、日本文化は奥深くて容易に理解し得ないとの妙な「自慢」にしかつながらなかったのです。

日本紹介のおちは「そうなんです、日本は外国人にはわからない神秘に包まれているのです」だったのではないでしょうか。国際交流や相互理解をうたいながら、結局は外国人に分からないと決めてかかっている「文化」ばかり展示し、デモンストレーションして見せていました。

日本は特殊であり、その特殊性ゆえに外国人には理解できない。そういう裏がえしのコンプレックスのはけ口として押し出されていたのが「日本文化」なのかもしれません。

イギリス人が楽しんでいるカラオケは、日本生まれではあろうけれども、もはや日本のものではないのです。日本ブランドが消えた無国籍の装置であるがゆえに抵抗なく受け入れられ、自由気ままな形で楽しまれている。

そこにエキゾチシズムはかけらも感じられない。 いつもメイド・イン・ジャパンの旗のもと、お国を背負って出てゆかねばならなかった時代の日本文化とは隔世の感があります。かつて高級な日本文化を自認し、海外でも評価される日本文化だと胸を張っていた、あの一連の「もの」「事態」は、いったい何だったのだのでしょうか。

カラオケは、 ひょっとするとこれまでの日本文化の考え方をくつがえす何かを持っているかもしれません。

中国の1994年4月16日付けの『人民日報』の記事から。「カラオケ」は、カセットテープが演奏するという意味で、これになぜか英語の「0K」がつく。「万事オーケー」の気分をあらわす音をそのまま取り入れて、明るくサービス精神あふれた客商売の雰囲気を出す表現としてつくり出されたのでしょう。この記事のおよその内容は、文化産業が中国の経済発展に寄与するというもの。

カラオケは、その「文化産業」の有力な担い手だとの考えをもとにしています。お堅いはずの共産党機関紙が、カラオケを肯定的に扱っているのにまず驚きました。だがもっと驚いたのは、ディスコやカラオケハウスが、 中国全土に2万軒も存在するというその数字です。

もはや中国で、カラオケの人気、カラオケハウスの増加は押さえられるものではないといった印象を受けます。知識人すらも反感を抱くことなく、ふつうにカラオケの普及を語る姿勢が印象的である。

「サブカルチャー」として、カラオケを一段低く見て語るのではなく、これまで中国には見られなかった、歌との新しいつきあい、歌唱「文化」の一つとして知識人のあいだでも受けとめられている感じなのです。

中国人はカラオケをどんな感じで歌うのか、どうやら日本とよく似ているようです。つまり、誰か一人がスター気分になり、陶酔して歌うタイプが多いようです。東洋ではどうしてもそうなるのでしょうか。

中国のカラオケは、ひと昔前に日本ではやったスナックやバー形式の、ちょっといかがわしさが匂うスタイルが多いようです。秘密クラブのように、入口はわかりにくくなっています。

紹介されているカラオケの一つは、北京市街のど真ん中、北海公園の中にありました。「ありました」 というのは営業停止になったからです。 このカラオケに限らず、中国のカラオケは、突然店をたたんだりすることが多いようです。どうも折々の政治の動向が絡んでいるような気配があります。

そもそも社会主義の国で、 どんな商売もおおっぴらに営業自由というわけには行かないことは想像がつきます。派手な演出や女性をはべらせての営業があたって、客の出入りが多くなり、行き過ぎと判断されると、どこからか横やりが入るのです。

もともとあぶく銭、ときに大きな現金収入に結びつくから、裏で政治家が絡んでいるとのうわさが絶えないようです。そこで改革・解放のかけが強力なときは、カラオケ店はぐっと数を増し、おおっぴらな営業となるが、引き締めとなると、突然店の姿が消える。裏でいろいろな力が働いているのは間違いなさそうです。

カラオケは中国が進める開放経済に連動する装置として、すなわち資本主義の競争経済を庶民のなかに血肉化させる文化装置の役割を果たしていると思えます。

純朴な気質の集団に享楽の装置を持ち込んで混乱を引き起こしている、との見方もあるでしょう。しかし中国へのカラオケの進出を善悪・正邪で判断するのは性急にすぎる。 社会主義体制下の人間関係とは違ったつきあいが生まれていることはさきに紹介した知識人たちの発言や見方などからも推察できます。カラオケ人気は、中国のこれまでにない社会変動の表現の一つとして観察すべきものでしょう。

カラオケ店に入ると、どこからともなくカラオケ小姐(シャオチェ)が現れて、すっと横に座るのが多いという。要するに、中国のカラオケは、少々いかがわしい風俗営業の気配が濃厚なのです。

といっても庶民向きの、ストリートカラオケも少なくありません。ストリートカラオケとは、通りに面して店を構え、ちょっと一曲歌いたいと思って入っても、ちゃんと歌わせてくれるような大衆的な店のことです。開けっ放しの入り口だから、大きな歌声が外に流れ出す。近所迷惑だが、いかがわしいところはなく開放的だ。

風俗産業の雰囲気をつよく持つ秘密クラブふうカラオケから、開放的でとにかく歌いたい気持ちをくみ取り、発散させてくれるストリートカラオケのような開放型まで、中国のカラオケは各種の形態をそろえているのです。

しかも近年、よりはっきり現れた貧富の差に応じたカラオケが、上から下まで、各層に広く浸透していると言えるだろう。中国においては上・下それぞれの階層の、新しい社交・コミュニケーションを支える文化装置として機能している。
が、そこに共通するものは、やはり自分がスター気分になって歌う陶酔型です。