アーティストの才能は遺伝より環境の影響が大きい
音楽的才能とは先天的なものなのか、あるいは後天的な努力で補えるものなのだろうか。先天的なものとしてあるとしたら、当然、アーティストの家系に生まれなければならないということになるだろう。

才能は遺伝するかもしれない。しかし、DNAレベルの問題というより、その環境のほうが大きいのではないかと思う。

ミュージシャン、アーティストの家庭ならば、音楽はもちろん、文学、映画、美術といった文化的なもの全般に子どものころから自然にふれられる環境があり、その何かから大きな感動を与えられるといった経験がもてるだろう。

ロック五十年の歴史のなかには、恵まれた環境で育っただろうと推測される多くの二世ミュージシャンが増えてきている。

ジュリアン・レノン、ショーン・レノンは、親があまりに偉大すぎるため、その才能や実績を超えるのはなかなかむずかしいが、ボブ・ディランの息子ジェイコブ・ディランが率いるウォール・フラワーズは、音楽的にもセールス的にも、親が誰であるかなどもう関係ない域に達している。

日本でも、息子とジョニー吉永の息子が結成したバンドなど「親の七光」など不必要なほどに十分説得力があるサウンドだ。

あるいは、俳優、イラストレーターといったアーティストの家に生まれたミュージシャンも、恵まれた環境に育ったという例にあげられるだろう。たとえば降谷健志、和田唱など。

親がアーティストではないにせよ、家にレコードが膨大にあり、幼いころから聴き放題だったなどといううらやましい話もよく聞く話だし、両親のどちらかがアマチュア、セミプロ・ミュージシャンというのも、めずらしいケースではないはずだ。幼いころに音楽教育を受けさせられる場合も多いだろう。

幸いにもこのケースにあてはまればラッキーだ。幼少時の音楽教育が君の魂に宿っているかもしれない。それをこじ開け、アーティストとして開花させればいい。逆に、君の生まれ育った境遇が、不幸にもこれらのケースにまったくあてはまらなくても落胆することはない。

ジョン・ライドン、カート・コバーン、ボブ・マーレイ、矢沢永吉など、平凡というよりむしろ恵まれない環境から生まれ育ち、それをバネにするかのようにして作品を作り、アーティストとして歴史に名前を刻んだ人もいくらでもいる。

それでは、意識的に後天的に音楽的才能を得ることができる方法はあるのか。まず、これまでにどれくらい知的好奇心をもって音楽を探り、聴き込み、理解していったかということが重要だろう。

若いアーティストと話をしてがっかりするのは、自分が最初に影響を受けた日本のアーティストや、誰でも知っているビッグ・ネームの音楽だけを、自分にとって最高だと信じ込み、それ以外のアーティストに興味をもたない人がいるときだ。

そういう人の作品は、モトネタがわかりやすく、音楽的情報量が少ないので作品の奥行きがなくおもしろくないケースが多い。

たとえば、街角でよく歌っているゆずもどきのほとんどが、ゆずを水で薄めたようなもので、まったくおもしろくない。あれと同じである。

自分の好きなアーティストを、批評的視点もなく、ただ忠実になぞることがその人の音楽表現ならば、そのお手本を超えることはむずかしい。そういった状態は克服しなければならない。

たとえば、自分の好きなアーティストが影響を受けた、あるいは最近気に入っている、と発言しているアルバムを聴いてみる。それがいいと感じたら、それと同じジャンルにくくられたものを横に広げていって聴いてみる。

そこで、お気に入りが見つかったら、そのルーツと呼ばれるものにさかのぼり、時間軸を縦にとって聴いてみる。そうしていくうちに、聴き込んだアーティストもジャンルも広がり、豊かな音楽の感性の森が君の心に育つかもしれない。

一九八〇年代後半からCDが普及し、外資系大型レコード店の進出とあいまって、過去の名盤や貴重盤が安価で手軽に手に入るようになった。その数年後の九〇年代はじめ、渋谷系と呼ばれるアーティストが多くデビューし、小沢健二のブレイクを頂点としてムーブメントとなった。

これらの現象は明らかに相互にリンクしていると思う。過去の良質な音楽に出会い、そのすばらしさに目覚めた才能が十年分の情報を一カ月で吸収してしまうことも可能になった。

それを乾いたスポンジのように取り込んで自分なりに消化し、時代感覚をフィットさせ、オシャレに演出することによって、これまで日本にはなかった、洋楽の最先端のものを聴くのと同じ耳で聴ける音楽を作り出したのである。DJ出身のプロデューサーの出現というのも同じことが要因になっているといえる。

膨大な量のレコードを聴き込んだ彼らが、過去の音源をアイディアとして、いまの音を作る。これも多くのレコードを聴き込んでいればいるほど作品の幅が広がるわけだから、純粋に意識的な努力によって獲得した音楽の後天的才能だろう。

新人のアーティストに会うとき、どんな音楽をどれだけ聴いてきたか、また聴いているかと必ず聞く。こちらが驚くような音楽やオリジナリティーをもった作品を作るアーティストは、すぐれた審美眼をもっていて、自身の快感原則に沿いながらも、へたな評論家よりよほど音楽を聴いているケースが多い。椎名林檎のデビュー時のリスニングリストは、クラシックから福岡のローカル・バンドまで書かれており、ほんとうに驚いた。

アーティストの多くは十代後半でいちばん熱中した音楽を一生、身体のどこかにひきずりながら自分の音楽を作っていくケースが多い。

なぜなら、それはその時期が人間にとっていちばん感受性が高く、音楽的感性の形成に大きな影響を与えるからだろう。そのいちばん大切な時期に、どれだけいい音楽に出会い、それを吸収するかが、その後のアーティストの一生を決めるといっても過言ではない

その時期、金がないのならレコード店の試聴機でもいいし、図書館に行けば、かなりのCDが最近はストックされている。食事を一回抜いてまで買ったCDは、必ず君の感性の育成に役立つだろう。

昨今は、新譜と旧譜、現在と過去のいい音楽が並行して存在する。過去の名盤と呼ばれたものはもうほぼCD化しつくされたが、たとえば日本では紹介されることの少なかった一九七〇年代のブラジルのロック、あるいは当時、なんらかの理由によって発表されなかった音源など、まだまだリイシューにより、二十一世紀の耳で聴かれるのを待っている音源が現れるだろう。

多くの歴史的名盤も、さらにリマスターされ、ビートルズの『1』のように音質も驚くほど向上するだろう。

インターネット上の空間も未知の音源との出会いに満ちている。いま僕たちは、信じられないはどの音楽をセレクトできる時代に生きている。トップ40を聴くしかなかった一九七〇年代までとは、信じられない環境の変化だ。

まもなく、この環境のなかで育ち、才能をはぐくんだアーティストが現れてくるのだろう。そして彼らははたして、どんな音楽を奏でるのだろうか。楽しみに待ちたい。