シューマン歌曲集《女の愛と生涯》
「きみは、わが魂、わが心
きみは、わがよろこび、わが悲しみ
きみは、わが世界…」

シューマンは、長い恋愛の末に結ばれたクララヘの贈り物として、その結婚式の前夜、歌曲集《ミルテの花》をクララに捧げた。全26曲からなるこの歌曲集の冒頭におかれているのが、リュッケルトの詩に曲をつけた(献呈〉で、「きみは、わが魂、わが心…」というこのことばは、そのまま、シューマンのクララに対する熱烈な気持ちを表したものであった。

2人は、1840年の9月12日、ライプッィヒ郊外の教会で、クララの実母のバルギー夫人と彼らの友人で、2人の恋愛にとってよき協力者だったエルンスト・ベッカーの出席のもとに、ささやかな式を挙げた。

シューマンは30歳、クララはその翌日21回目の誕生日を迎えるところであった。普通なら、当然、出席してこの結婚をともに喜び、捉福してぐれるはずの花嫁の父は出席しなかった。クララの父親で、シューマンにとっては恩師に当たるフリードリヒ・ヴィークは、最後までこの結婚に大反対だったからである。

クララは、その日の日記に次のように記している。
「まったく長い長い年月だった。今、新しく、美しい生活が始まろうとしている。彼に抱かれた生活、わたし自身よりも、ほかの誰よりも愛する彼に抱かれた生活が始まろうとしている。だが、一方、また重い重い責任が、わたしの上におおいかぶさっている。神よ!わたしに、それらに耐えることのできるような、よき女性となる力を与えたまえ!」

クララのことばどおり、彼らが結婚に漕ぎつけるまでには、さまざまな試練と苦しみが横たわっていた。それを乗り越えて結婚に漕ぎつけたのであるから、2人の喜びもひとしおであった。ここで、シューマンがクララと結ばれるまでのいきさつを、ざっと振り返ってみることにしよう。

シューマンが、音楽の道に進むことを決心して、厳格なピアノ教師として高名だったフリードリヒ・ヴィークの内弟子となり、クララと一つ屋根の下に住むようになったのは、1830年の10月で、シューマンが20歳の時である。ヴィーク教授の秘蔵の愛娘クララは、当時11歳で、もちろんまだほんの子どもであったが、ピアノの演奏にかけては大変すぐれた腕前を持ち、すでにその頃、音楽界では、天才少女の名をほしいままにしていた。

シューマンは、最初、名ピアニストになることを夢みて、猛烈に練習に励んだが、あまりにもそれが性急だったので、右手の指を痛めてしまった。無理な練習方法がたたったのである。

そのため、ピアニストになることを諦め、作曲一本槍で進まざるを得なくなったのだが、そうした彼の不幸を、いつも優しいまなざしで見つめ、励ましのことばをかけていたのは、クララであった。

初め、シューマンは、クララのことを妹のようなつもりで愛していたが、やがてその愛は、本当の恋愛に変わっていった。もっともその間彼は、ピアノ曲《謝肉祭》を作曲する原因となった、エルネスティーネという女性に情熱を捧げ、婚約するところまでいったのだが、これは、エルネスティーネの父親の強い反対で破れている。

しかし、これものちにシューマン自身が語っているように、「エルネスティーネは2人を結び合わせるために現われた」と言えないこともない。クララを、シューマンがはっきりとした恋愛の対象として意識するようになったのは、エルネスティーネとの恋に破れた時からであった。

シューマンは、クララに宛てた手紙の中でこう書いている。
「あなたは背がのびてすっかり変わっていました。僕が一緒に遊んだり、笑ったりできた昔のおチビさんではなくなっていたのです。あなたは聡明に語り、あなたの瞳の中に愛の光が深く秘められているのを見ました…」

次第に強くひかれていった2人が、とうとう情熱を抑えきれなくなって堅く抱擁し、熱い接吻をかわしたのは、1835年の11月の夜のことで、クララは、その時の興奮を日記に次のように記している。

「あなたが、初めて接吻してくださった時には、気を失ってしまうのではないかと思いました。何も見えなくなってしまい、あなたの足もとを照らすランプを、やっとの思いで落とさずに持っていたのです」

16歳のクララは、この時、将来、自分たちの前にどのような障害が立ちはだかろうとも、シューマンと苦労を共にしようと、固く心に誓ったのだった。
シューマンもクララも、恋愛から結婚への道のりはさして遠くはないと考えていた。というのも、クララの父ヴィークが、日頃、シューマンの才能を高く評価し、自分の息子のように可愛がってくれていたので、シューマンがクララと結婚したいと言えば、一も二もなく承諾してくれるものと思っていたからである。ところが、それはとんだ思い違いであった。

ヴィークは、この2人に結婚の意志があることを知ると、烈火のごとく怒り、あらゆる手段を講じて2人の仲を妨害し始めた。2人は、会うことはおろか、手紙のやりとりすら禁じられてしまったのである。

なぜ、ヴィークは2人の結婚にそれほど強く反対したのか?理由は簡単だ。彼がせっかく苦心して育てあげ、掌中の珠としていつくしんでいたクララのような有能なピアニストの愛娘を、ピアニストのなりそこないの無名の作曲家で、一応才能が認められるとはいうものの、海のものとも山のものともわからない青二才にやってしまうのが、惜しかったからである。

ヴィークは、2人の結婚を妨げるために、シューマンに関する中傷をまき散らすような、卑劣な行為さえしたが、そうした頑迷ともいえる強い父親の反対も、クララの心を変えることはできなかった。

2人は、最後の手段としてライプッィヒ裁判所に提訴して結婚許可を求め、約一年後の1840年の夏、勝利を収めたのである。判決の結果、ヴィークの中傷は事実無根として退けられ、2人の結婚に対する障害は除かれることになった。

以上が、音楽史上あまりにも有名な、シューマンとクララによる恋愛闘争のあらましである。シューマンがクララと結ばれた1840年は、ドイツ歌曲にとっても、重大な意表を持った年である。

それまでのシューマンは、ピアノ曲ばかりを手がけてきたが、この年の2月になって急に方向転換し、歌曲ばかりを続けざまに作曲するようになった。この一年だけで、なんと100曲以上もの歌曲が彼のペンから生み出されている。シューマンという人は、大体が、一つのことに熱中すると、わき目もふらずに猛然と突き進む直情径行型の人間で、仕事ぶりにもそれがよく現われているのだが、この年のように、歌曲ばかりが集中的に書かれているのも珍しい。

彼みずからこの年のことを歌の年と呼んでいるように、彼のめぼしい歌曲の作品は、ほとんどこの1840年に作曲されたものである。その主なものをあげると、クララヘの結婚の贈り物とされた歌曲集《ミルテの花》を筆頭に、歌曲集《リーダークライス作品二四》と歌曲集《リーダークライス作品三九》、歌曲集《女の愛と生涯》、歌曲集《詩人の恋》などがあり、また、独立した歌曲としては《2人の榔弾兵》、《流浪の民》といった作品も、この年に書かれている。

あなたは、この中の《女の愛と生涯》を聴いて、どのような感想を持っただろうか?この歌曲集は、フランス系ドイツの詩人シャミッソーの詩に曲をつけたもので、全部で8曲からなり、あるまとまった一つの物語で構成されている。

つまり、シューベルトの歌曲集《美しい水車屋の娘》と同じように、連編歌曲集として作曲されているわけである。シューマンは、このほかにもう一つ、連編歌曲集を作曲している。ハイネの詩による《詩人の恋》がそうで、《詩人の恋》が男性の恋愛を描いた作品であるのに対して、この《女の愛と生涯》は、題名の示すとおり、一人の女性が、娘時代に恋をし、結婚し、母親としての喜びを知り、ついには夫に先立たれ、未亡人としての寂しさをしみじみと味わう、といった内容で書かれている。もう少し細かく紹介しておこう。

第一曲〈あの人に会ってから〉は、あの人に会ってから、あの人のほかには目に入らなくなった、と恋の悩みを述べたもので、次の第二曲〈誰にもまさる、きみ〉は、恋人への讃歌である。「誰よりも親切で素晴らしいあなた、誰よりも優しく、澄んだ眼を持っていて、勇気のあるあなた…」と恋人をほめたたえながらも、中間部で、そうした素晴らしい人が、わたしを愛してくれるかしら、という不安に襲われる女心が顔をのぞかせる。

第三曲〈わたしはわからない〉では、彼に愛されていることを知って、夢ではないかと喜ぶ気持ちが歌われ、第四曲〈この指にさした指環〉には、婚約指環を手にして楽しい空想を走らせる、女心の機微が描かれている。続く第五曲〈友よ、手をかして〉は、嫁ぐ日の心境を歌った歌で、「友よ、幸せなわたしに手をかして、咲きにおうミルテの花でわたしを飾ってください」といった意味の歌詞に曲がつけられている。ミルテは美の女神アプロディーテの神木とされ、ヨーロッパでは花嫁衣裳を彩る香りの高い白い花で、純潔を表すとされている。

次の第六曲〈やさしいきみよ、いぶかりの目で〉は、懐妊した事実を夫に告げる時の、若妻の胸のときめきが歌われ、第七曲〈胸に抱いて〉は、母となった喜びが描写される。しかし、この歌曲集の最後におかれた第八曲〈いまきみは、はじめての悲しみをわたしに与えた〉では、一転して、夫の死に遭った妻の嘆きが、切々と歌われるのである。シューマンが、クララとの結婚の年に、なぜこのような、悲しい結末を持った歌曲をとりあげる気になったのか、そこのところはよくわからない。

しかし、この曲が、クララの生涯を予言する結果となったのは、痛ましいことである。この曲が書かれてから14年後、精神に異常をきたしたシューマンは、絶望のあまりライン河に身を投げ、自らの生命を絶とうとした。その時は、運よく救出されたものの、それからまもなく、廃人同様の姿でボンに近い精神病院に入院し、2年半後に息を引き取った。急を聞いたクララが病院に駆けつけた時、シューマンは、うつろな目をして、ただひとこと「わかるよ……」と言ったという。

「あなたは静かに眠っています。死の眠りについてしまったとは、ひどい方です。残されたわたしにとって、この世はうつるのです。わたしは激しく愛し、生きてきました。しかし、もうわたしは、生ける屍です…」

悲痛な音調でこう歌われる第八曲〈いまきみは、はじめての悲しみをわたしに与えた〉から、その時のクララの深い悲しみが、そのまま伝わってくるように思うのは、わたしだけではないだろう。天才だけが持ちうる不可思議な予知能力から、シューマンは、この歌曲集《女の愛と生涯》で、愛妻クララの愛と生涯を描いたのである。
 



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