神への祈り、自然との対話、悪霊を追い払う、戦闘意欲を鼓舞する、自己の心情を吐露する、病気を治す、存在の誇示、愛の告白…

ざっと、考えつくだけ歌の目的らしいものをあげつらねてみても、イタリア・オペラのアリアに当てはまりそうなのは、「心情の吐露」か「愛の告白」ぐらいでしょうか。

しかし考えてみると告白も心情の吐露も結局同じような意味にしかならないのです。
神への祈り?
歌で自然と対話する?
病気を治す?
存在の誇示?(これが、カラオケなのかもしれない)

こう考えていくと、現在私たちが耳にしている音楽(クラッシックもロックやポップスも含めて)は、そのどれもが目的性の乏しい音楽ばかりである。

時間と共に刻々と変わっていくヒット曲に目的性を求める方がおかしいという主張もある、が、それでは、そういったヒットチャートをにぎわす音楽を私たちは一体何のために聴いているのでしょうか?

「流行を知りたいから」「人が聴いているから」「いい曲だと思ったから」……。別に、街角で道行く人々にインタビューをするまでもなく、おそらくこのような答えが返ってくるに違いないでしょう。

現在流行っている音楽を聴きたいという気持ちはいつの時代にもあります。それは、ファッションの流行とまったく同じで、その時代時代の人々の嗜好を如実に表していると同時に、その時代や環境が何を「許容しているか」ということの示唆でもあります。

音楽の流行にも似たような心理が働きます。積極的に「ロックが聴きたい」「ジャズが聴きたい」という目的がない人は、そこにある数々の選択肢の中から自分に「許容できるもの」を選んで聴く。

ヒット曲を聴く人間の心理の中には、自分がいる環境の中で大多数の人が受け入れている音楽を自分も受け入れなければ、そこ(環境)から取り残されてしまうのでは?

という脅迫観念が生まれることが多いです。だから、自分の中にその音楽を受け入れる場所を無理矢理作ろうとします。そうした居場所は個人が積極的に作った場所ではないので、次により受けやすいのもができるとすぐに新しいのもに置き換えられてしまう可能性があります。