ヴェルディオペラ《椿姫》
「恋に狂う!とは言葉が重複していますよ。恋とは、すでに狂気なんです」とハイネは言っているが、恋愛小説の多くは、いわゆる一目惚れから始まっているようだ。最初に恋人同士の運命的な出会いがあり、あとはハイネの狂気につき動かされて恋愛が進行する、というのが古今東西を問わず、恋愛物語の一大鉄則である。

アベ・プレヴォの悲恋物語『マノン・レスコー』を読まれた方は、特にその感を強くすることだろう。
デュマ・フィスの小説『椿姫』は、語り手のわたしが、マルグリット・ゴーティエの遺品の競売に出かけていき、特装本の『マノン・レスコー』を、百フランも出して手に入れるところから始まっている。その本の最初のページには、きれいな筆蹟で次のような献辞が書かれていた。

「マノンをマルグリットに贈る慎み深くあれアルマン・デュヴァル」
それから数日して、彼の家に当のアルマン・デュヴァルという青年が訪れて来て、ぜひその「マノン・レスコー」を讓ってほしいと言う。わたしは快く承諾する。こうしてアルマンは、自分とマルグリット・ゴーティエとの深い関係を洗いざらい話し始めるのである。

マルグリットは、パリの夜の花ドミ・モンドである。このドミ・モンドというのは高等娼婦のことで、彼女らのパトロンは、たいてい貴族か富豪で、社交界へ自由に出入りすることができた。マルグリットは、そのドミ・モンドの中でも格別に若くて美しく、老公爵をパトロンに持っていたので、大変豪勢な生活をしていた。

彼女は、いつも一頭の栗毛の馬にひかせた小型の青い箱馬車に乗り、耳には一つ4、5千フランもするようなダイヤモンドがきらめいていた。そして彼女は、芝居の初日には必ず姿を見さじきせ、桟敷で見物していた。

そういう時、いつも彼女は前に3つの品物を並べていたが、それは観劇用眼鏡とボンボンの袋と椿の花束で、その椿の花は、月のうち25日が白、5日が赤と決まっていた。そのため、彼女には「椿姫」というあだ名がつけられていた。年収実に10万フラン、彼女はその金を湯水のように使った。

そうした贄沢三昧の生活をしていた彼女が、アルマンという純朴な青年を知り、真剣に恋し、公爵を捨てて彼と一緒に生活するようになる。アルマンの収入は何から何までかき集めても、年に1万2千フランにしかならないささやかなもの。とても二人の生活を維持することはできない。

そこでマルグリットは、アルマンには内緒で売り食いの生活を始める。そうこうしているうちに、田舎にいるアルマンの父親が息子の行状を知って上京し、ひそかにマルグリットに会い、家の名誉とアルマンの妹の結婚のために、彼から身をひいてくれと頼む。

父親の切なる願いを入れたマルグリットは、生木を引き裂かれるような思いでアルマンと別れ、ある伯爵の情婦となる。ところが事情を知らないアルマンは、マルグリットの変心を怒り、公衆の面前で彼女をなじって苦しめた末に、長期の旅に出る。その間に、結核にかかっていたマルグリットの容態は急速に悪化し、貧しい生活の中で血を吐きながら死んでいく、というのが原作の小説椿姫のあらすじなのである。

「椿姫」は、「モンテ・クリスト伯」や「三銃士」などの小説で有名な、アレクサンドル・デュマ(大デュマともいう)の息子、デュマ・フィス(小デュマ)の代表作で、彼は24歳の時に書きあげたこの小説によって、一躍文名を高めた。ヒロインのマルグリット・ゴーティエは、マリー・デュプレシスという実在のドミ・モンドをモデルとしたもので、彼女を愛していたデュマ・フィスは、マリーの死の翌年、彼女をモデルとしたこの悲恋物語を書きあげたのだった。

デュマ・フィスは、小説「椿姫」の中でマルグリットの美しさを次のように描写しているが、おそらくこれは、彼の目から見たマリー・デュプレシスのイメージとかなり一致していたものと考えてよいだろう。

たとえば、その顔は、「これがまたすばらしく、一種独特ななんともいえぬあだっぽさがあった。ほんとに小さくて、ミュッセの口ぶりをかりると、母親がことさら念入りにつくろうとして、こんなにも小さくこしらえあげたとでもいったようだった。

言葉では言い表わせない優雅な卵なりの顔へ、まず2つの黒いひとみを入れ、その上に絵に描いたような清らかな弓形のまゆを引く。そして、目を伏せれば頬にばら色の影を落とすような長いまつ毛で、目を覆い、上品な筋の通った利口そうな鼻を描く。その鼻孔は、肉感的な生活へのはげしいあこがれに少しばかりふくらんでいる。さらに、口もとを形よく描き、くちびるをやさしくほころばして、そこに牛乳のような真っ白な歯並みをのぞかせる。そして最後に、まだだれも手をふれたことのない桃を包んでいるあのびろうどのような細かな毛で層をいろどる、

とこう言えば、この魅惑的な容貌の全体がほぼ想像されるであろう」というわけで、実在のマリー・デュプレシスの方も、その一種独特の気品をたたえた美しさは抜群だったらしく、大作曲家のフランツ・リストは、社交界の席上彼女に会ってすっかり心を奪われ、「まるで女王のようだ!」と賛嘆の声をもらしたという。

ヴェルディのオペラ《椿姫》は、もちろんこのデュマ・フィスの「椿姫」をオペラ化したものであるが、台本は小説をもととしたものではなく、デュマ・フィス自身が書き直して大当たりをとった五幕の戯曲『椿姫』によっている。ヴェルディがこの芝居を、当時内縁の関係にあったジュゼッピーナと観たのは1852年の2月で、空前の成功を収めたオペラ《リゴレット》のあと、次作《トロヴァトーレ》の作曲にとりかかっていた時のことである。二人はパリのヴォードヴィル座でこの「椿姫」を観て強く心を動かされた。

そしてこの頃、いわば日陰の身だったジュゼッピーナは、わが身にひきくらべて、この劇のヒロインに深く同情し、この戯曲のオペラ化を熱心にヴェルディにすすめたといわれている。

そこでヴェルディは、さっそく台本を《リゴレット》の時と同じくピアーヴェに依頼し、台本は1853年の1月にできあがった。このピアーヴェによる台本は、原作に比較的忠実で、すじにも大きな変更はない。

オペラでは、ヒロインのマルグリット・ゴーティエがヴィオレッタ・ヴァレリー、相手の青年アルマン・デュヴァルがアルフレード・ジェルモン、そして父親のデュヴァルがジェルモンに変えられているが、こうした変更はオペラではよくあることである。また原作の小説では、ヒロインが一人寂しく死んでいくのに、オペラでは事情を知って駆けつけたアルフレードの腕に抱かれて死んでいくように改められているが、これもデュマ・フィス自身が、戯曲化にあたって改めたものである。

台本ができあがった時、ちょうど《トロヴァトーレ》の初演の稽古とぶつかり、ヴェルディはその方の指導もしなければならなかったので、毎日目のまわるような忙しさだったと伝えられている。しかし彼は、疲れた体に鞭打って《椿姫》の作曲に力をそそぎ、ごく短期間のうちに仕上げたのだった。

初演は、1853年3月6日に、ヴェネッィアのフェニーチェ劇場で行なわれたが、惨憎たる失敗に終わった。ヴェルディはその時40歳、孔子流にいえば不惑の年齢で、この作品には非常な自信を持っていたと伝えられている。それだけに、このオペラの初演の不成功によるショックは大きかった。彼は出版者のリコルディに、「悲しいニュースをお伝えしなければなりません。《椿姫》は失敗でした。しかし、その理由はここでは問わないことにします」と手紙を書いている。

しかしヴェルディは、その原因が自分の作曲にあったのではないことを確信していた。それは、知人のムッッィオに、「この失敗がわたしの罪か、それとも歌手たちの責任か、時がたてばきっとわかるでしょう……」と書いていることからもよくわかる。

ヴェルディがにおわせていたように、初演が失敗に終わった第一の原因は歌手たちにあった。アルフレードはカゼをひいて声が出ず、父親ジェルモン役のバリトンは、自分に与えられた役が端役だからといって練習しなかった。

そして、ヴィオレッタ役のプリマ・ドンナが大変な肥満型だったことも問題であった。結核で死ぬヒロインの役にはふさわしくなかったからである。結核でやせ細って血を吐きながら死んでいくヴィオレッタが、自動車にはねられても莞爾と笑っているような女丈夫であったとしたら、これはミス・キャストもよいところであろう。事実、ヴィオレッタが死ぬ最後の場面では、場内から笑い声が聞こえたという。悲劇転じて、喜劇となってしまったのである。

そのほか、このオペラの時代設定をその頃の聴衆におなじみだった17、8世紀とせず、現代(その当時の)としたことも聴衆を戸惑わせる原因となったし、ヒロインの社会的地位が娼婦であるということも大いに反感を持たれる理由の一つになったと考えられている。

そして、そのヒロインが結核で死ぬという設定は、オペラには向かないものとして拒絶反応を示す人もいた。たとえば、イギリスの批評家フォザギル・チョーリーに言わせると、「芝居では魅力があったとしても、「椿姫」は音楽では支えきれない物語だ。歌うことのできる人が肺病だなんて考えられるだろうか?足の不自由なシルフィードの方がまだましだ」という具合である。

チョーリーの言うことにも一理あるが、そうした不自然さはすべてのオペラにも大なり小なり存在することである。こうして、最初は、このオペラになじめなかった聴衆も、再演の時には抵抗感をあまり意識しなくなり、ヴェルディの音楽の美しさにすんなりとひきつけられてこのオペラを楽しむようになった。

現在ではビゼーの《カルメン》とともに、上演回数の最も多いオペラとなっているのは、ご存じのとおりである。
この中では、第一幕でアルフレードとヴィオレッタの歌う〈乾杯の歌〉や、ヴィオレッタがアルフレードからのひたむきな愛情を打ち明けられたあとで歌う、〈ああ、そはかの人か?花から花へ〉、第二幕の父親ジェルモンのアリア〈プロヴァンスの海と陸〉、そして、第三幕のアルフレードとヴィオレッタの二重唱〈パリを離れて〉などが特に有名で、単独でもよく歌われる。

なお、このオペラは、正式には、《ラ・トラヴィアータ》と呼ばれている。これは「道を踏みはずした女」という意味で、ヒロインのヴィオレッタの、社会的な身の上を指していることは、いうまでもないだろう。
 



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