ベートーヴェン交響曲第5番(運命)に隠された思いとは
1.ベートーヴェンの《交響曲第5番》ほど、世界中の人たちから愛され、親しまれてきた交響曲というのも少ないだろう。

シューマンは、この曲について、「いくら聴いても、あたかも自然の現象のように、畏敬と驚嘆とが新たになる。この交響曲は、世界の音楽が続くかぎり、幾世代も残ることだろう」と述べているが、たしかにそのとおりで、これまで耳にタコができるほど聴き込んできたつもりでも、聴くたびごとに新たな美しさを発見し、新たな感動を呼び起こされる。まさに、名曲の名に恥じない傑作だ。

ところで、この曲は「運命」という名称で広く知られているが、これは、ある時ベートーヴェンの弟子のシンドラーが、ベートーヴェンに向かって、第1楽章の冒頭の主題の持つ意味を尋ねたところ、彼が、「運命はこのように扉を叩くのだ」と答えた、というところからつけられたものだといわれている。ただし、この曲を「運命」と呼ぶのは日本だけの習慣で、外国では単に《交響曲第5番》とか、あるいは《ハ短調交響曲》と呼んでいる。

ことさらに仰々しく「運命」、「運命」、といわなくとも、この曲を聴いていると、運命と闘うベートーヴェンの姿が自然に浮かんでくる。
これは、ベートーヴェンの生家をそのまま記念館にしたもので、ベートーヴェンの遺髪や補聴器、遺愛のピアノ、楽譜そのほかが展示され、ありし日のベートーヴェンの生活をしのぶことができる。その中で特にわたしが非常な感銘を受けたのは、彼の絶筆であった。

これは、彼が息を引き取る3日ぐらい前に書かれた遺言のような文書で、自分に万一のことがあった場合には、甥のカールに自分の財産のすべてを譲る、といった意味の文面になっており、その終わりにベートーヴェン自身のサインがしてある。

ベートーヴェンという人は、大変字が乱暴であったが、特にこのサインは字が乱れていて読みづらい。だんだんと右下がりになっていて、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンとあるべきところを、dの文字が落ちてルーヴィヒとなっている、という具合に自分の名前すら満足に綴られていない。この文書にサインした時のベートーヴェンは、よほど心身ともに弱っていたのであろう。

事実、セイヤーの書いたベートーヴェンの伝記によると、半ば意識が薄れていたベートーヴェンにこの文書を作成させるために、枕もとにいたブロイニング、シンドラー、そしてベートーヴェンの弟が、彼をベッドの上に起き上がらせ、やっとの思いでサインさせたという。シンドラーの伝えるところによると、サインし終わったベートーヴェンは、「もうこれ以上何も書きたくないよ」と言ったということで、ブロイニングはさらに次のように証言している。

「瀕死の人物は、いつもだったら碑文まがいの書体で勢いよく書きなぐっていたのに、今は最後の機会にあたり、震える手で難儀しながら、不滅の名をどうにか何回も署名した」

わたしが目にした文書は、もちろんコピーで(本物は別の場所に大切にしまわれている)、目の悪いわたしは、それを強力なルーペで穴のあくほど眺め、いい知れない感動に襲われたものだった。死の直前の彼が、最後の力をふりしぼって書いた、その強靱な生命力に激しく心を揺さぶられたのである。

ベートーヴェンの伝記を読むと、このあと例の「喝采したまえ、喜劇は終わった」という有名なことばを口にし、さらに3日後の夕方、早春だというのに吹雪に襲われ、しかも雷鳴の轟く無気味な空模様の下で、ベートーヴェンはこぶしを固めた右手を高々と上げ、天の一角をハツタとにらみつけながら劇的な最期を遂げたという。

それを思うと、この時見た、ベートーヴェンの乱れに乱れたサインが、今もなお鮮やかに思い出されるのである。大作曲家の中には、運命の厳しい試練に見舞われた人も多いが、ベートーヴェンほど苛酷な運命と力いっぱい闘い、輝かしい勝利を収めた音楽家というのはいない。

2.「ベートーヴェンの一生は、嵐の1日に似ている」と、かつてロマン。ロランが述べているが、彼の一生は激しい苦難の連続であった。その人生最大の試練が、26歳の頃から始まった耳の病で、30代の初めにほとんど聴力を失っていた。このために彼がどんなに悩み、そして苦しんだかは、32歳の秋に書かれたあの悲痛なハイリゲンシュタットの遺書を読めばよくわかるだろう。

ベートーヴェンは一時、死の淵にまで追い詰められたが、彼は勇を鼓して立ち上がり、運命に対して果敢な挑戦を開始した。こうして、音楽家としての絶大なハンディを負わされたベートーヴェンの第2の人生が始まったのである。

その彼の第2の人生の冒頭を飾る最大のモニュメントになったのが、《交響曲第3番》(英雄)だが、この《交響曲第5番》は、それに引き続いて構想されたもので、1804年頃から真剣に取り組み始めたようである。

しかし、途中でオペラ《フィデリオ》の計画が始まったり、《交響曲第4番》や《ピアノ協奏曲第4番》、《ヴァイオリン協奏曲》などの作曲が入ってきたため、それらに時間と労力を奪われ、完成は4年後の1808年となり、その年の12月に、《交響曲第6番》(田園)と一緒にウィーンで初演された。

この時には、その2曲のほかに、ベートーヴェン自身がピアノ独奏部を受け持った《ピアノ協奏曲第4番》や、ピアノと管弦楽・合唱のための《合唱幻想曲》も同時に上演するという盛りだくさんな豪華プログラムであったが、演奏会はさんざんな失敗であったと伝えられている。聴衆の入りが悪く、楽員たちは、耳の不自由なベートーヴェンをバカにしてひどい演奏を行なったからである。ベートーヴェンは、それ以後、しばらくの間自作の演奏会を開こうとはしなかったといわれている。

初演そのものは失敗に終わったが、この曲は、ベートーヴェンの生前から、彼の最も人気のある交響曲となったようだ。
ベートーヴェン自身は、《第5番》よりも《第3番》(英雄)の方に、ずっと強い愛着を持っていたようだが、一般の音楽愛好家の人気は、当時からすでに《第5番》に集中していた。なぜかといえば、《第3番》は、巨大すぎていささかまとまりが悪く、聴衆の忍耐力の限界を超えていたのに対して、この曲の方は、比較的簡潔で、それこそ一音たりとも無駄のない、精密で堅固な構成でつくられていたからである。

E・T・A・ホフマンは、この曲について、「ベートーヴェンは、この交響曲において通常の楽曲の配置をとりながら、それらをファンタスティックな方法で結び合わせているように思われる。感受性の強い聴き手なら、最後の和音まで、一貫して、名状しがたいあこがれや予感といった、ある種の感情に心の底からつき動かされるであろうことは、確かである」と述べているが、このことばは、当時の人々がこの曲に対してどのように考えていたかを知る意味で、貴重である。

わたしたちが今、この曲を聴いて思い浮かべるのは、前にも述べたとおり苛酷な運命と闘い、その運命のノド首を締めあげた雄々しいベートーヴェンの姿である。そして、全曲を通してこの曲を眺めてみると、ベートーヴェンがこの曲を、一つのテーマで綿密かつ周到に組み立てていることがわかる。

そのテーマとは、ベートーヴェンの後半生のモットーであった「苦しみを通して歓喜に至れ」ということばに通じる「暗黒から光明へ」というもので、リーツラーは、「この交響曲は終楽章を目標として進んでおり、全体がそのようにもくろまれていることは、疑問の余地がない」と述べている。

俗に運命の動機と呼ばれている力強い4つの音から始まり、歓喜に満ちあふれた輝かしい終楽章で結ばれるのだが、最初に現われる運命の動機は、第1楽章だけで消え去ってしまうものではなく、第3楽章にも、また第4楽章にもそれぞれ変形されて用いられ、全楽章を固く一つに結びつけている。

皆さんの中には、有名な第1楽章だけを聴いて、あとの楽章はどうでもよいと思っている人はいないだろうか。もしそういう人がいたとしたら、ぜひ全部を通して聴いてほしい。この曲の中心主題である「暗黒から光明へ」というテーマは、全楽章を通して聴いてこそ、初めてつかむことができるからである。

曲は全部で4つの楽章からできているが、とりわけがっしりと組み立てられているのは第1楽章で、運命の動機による第1主題と、これとは対照的な優しい第2主題とが中心となり、ソナタ形式の原理に従って楽章全体が一分の隙もなく構築されている。全曲の中で一番ベートーヴェンの雄々しい姿が髻髭としてくるのは、この楽章である。

第1楽章は、自由な変奏形式で書かれた平和な気分の流れる楽章である。戦いのあとの慰めといった感じで、こうした配置は心理的にも当を得ている。しかし、その平和な気分も長くは続かない。

第3楽章では、運命の動機が形を変えて登場し、再び暗雲に覆われる。そして無気味なパッセージをへて、途切れることなく第4楽章へとなだれ込むが、そのとたんに明るいハ長調に転調し、総奏によって雄大な第1主題が奏される。この曲がパリで上演された時、この輝かしい主題を聴いた老兵が思わず立ち上がり、「皇帝だ!皇帝万歳!」と叫んだという話はあまりにも有名である。

とにかく、この交響曲ほど、人間の持つ喜怒哀楽の感情を、虚飾なく、塞直に、かつ鮮明に打ち出した音楽というのはほかに例がない。世の音楽愛好家は、とかくこの曲を聴きなれているせいか、ともすると軽視しがちだが、そうした態度は間違っている。ここには、運命との苛酷な戦いに勝利を収めたベートーヴェンのすべてがあり、その不退転の気迫に、わたしはいつも心打たれ、力づけられるのである。
もしあなたが、これからの人生で前途の光明を見失うようなことがあったとしたら、ぜひこの曲をじっくりと聴いてほしい。きっと、新たな人生への希望と勇気とが、凛々と湧いてくるに違いない。


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