日本語のように子音が少ないと、フレーズの頭は絶えず強いアクセントを持つことになります。

だから、西洋音楽では頻繁に登場するシンコペ—ション(簡単に言えば、弱いアクセントで始まるフレーズ)のリズムを日本語は作りにくいのです。

となると、英語では何の違和感もないロックやポップスの音楽が日本語では作曲しにくいということにもなってきます。桑田佳祐とサザンオールスターズというバンドがデビューした時、彼らの歌う歌詞の日本語がわかりにくいと批判されたことがありました。

それは至極当然の話で、彼らのやろうとしたことは、日本語にシンコペ—ションのリズムを作ろうとしたこと、そして、子音の数を意図的に増やそうとしたこと。

そのままではロックのリズムにはまらない日本語の子音や母音の発音をわざと不明暸にすることによってことばにシンコペ—ションのリズムを作りロックを日本語で演奏する。

これが彼らの目的だったのであり、これを契機に、日本語のポップスやロックの歌詞は、みなこの「日本語の英語化」あるいは、「シンコペ—ション化」という道を辿り始めるのです。

それは、あたかも、イタリア・オペラで発展したベルカント唱法という発法が、世の中の倍音を最大限に利用しようとした結果、ことばの不明瞭さを犠牲にした状況と、ある意味似ています。

ベレカント(美しい声という意味)唱法というのは、イタリア・オペラで発達した特殊な発声方法で、イタリア語のように、母音と子音の発音を鼻腔で共鳴させやすい言語(ドイツ語の子音はイタリア語のそれより強すぎて鼻腔では共鳴させにくい)で歌う発声法のことです。

詳しい技術的なことは省きますが、要するに、呼吸時の横隔膜のバランスをうまく保ちながら、高い音も低い音のように大きな声量で歌えるように工夫された発声法です。

パパロッティやドミンゴのあの豊かな声量は確かにイタリア語の歌ならではのもの。

ただし、私たちが「普通に」歌っている地声の発声法と比べるとどうもことばが聞き取りにくくなるのは、日本語のロックと同じ。

イタリア語ならまだしも、フランス語のオペラの『カルメン』などでは、どう聴いてもフランス語には聞こえない。

これは、歌手が単にフランス語が不得意なだけではない。根本的に、倍音をたっぷり響かせれば響かせるほど、必然的にことばの発音は倍音の洪水の中に埋もれていくのです。