人はなぜカラオケを発明したのか?
カラオケの発明が世界に与えた影響二十世紀後半に日本人が創作した二つの製品が世界を席捲している。その二つの製品とは言うまでもなく、カラオケとアニメ。

アニメ技術は劇場用映画などを世界へ発信し続け、アニメ先進国として世界に多大な影響を及ぼし続けている。

カラオケは、間違いなく日本の発明品である。井上大佑という技術者が71年にカラオケ第一号器を世の中に送りだして以来、この日本の発明品は今なお世界中にそのシェアを広げ続けている。

今日、世界中の多くのメディアがややシニカルに描く日本人のステレオタイプと言えば、メガネをかけてカメラをぶら下げた観光客、カラオケマイクを握りしめ熱唱する姿、そして、ゴルフクラブを振るビジネスマンが定番である。それほど、日本人のカラオケ好きは世界も認めるほどなのだが、果たしてこれは、単に日本人だけの専売特許なのだろうか?

カラオケという器械の持つ社会的「意味」は、それを発明した井上氏の意志とは別にまったく別に、もっと違うところにあるような気がしてならない。 楽器の伴奏なしに歌を歌える便利な機械。しかし、カラオケの意味はそれだけにはとどまらない。


時代と共に成長したカラオケ
力ラオケが日本に出現したのは1970年代から80年代にかけて、すなわちこの国が世界における居場所を回復しようと努めていた時代である。この時代はまた日本経済が著しく成長し、日本製品とテクノロジーが世界を席巻していた時代でもある。

それは製造業と大規模マーケティングにおける彼らの高い能力、そして幅広い消費者を惹き付けるために絶えずそれを変え続け、改革し続ける能力の賜物であった。日本製品が成功を収めたキー?ファクタ?の一つは、それが巨大で立派であったことではなく、むしろソニーのウォークマンから任天堂やセガのビデオゲーム、バンダイのたまごっちに至るまで、小さく機能的、安価でパーソナルであったことにある。

これらの小さな機械は「便利」を「楽しい」に変え、「楽しさ」を「便利」にしてくれる。

日本のテクノロジーは「ごく普通の男」に力を与えた。「突如として、誰もが満員電車の中で自分の好きな音楽を聴き、手書きの文字を世界中にファクスし、「サンタがママにキッスした」を自分で歌うことができるようになった。

カラオケはどんな人間をも主人公にしてしまうのだ。 一九七六年、クラリオンは日本で初めて業務用カラオケ機器を販売したが、それはすぐさま家庭用として大衆市場に登場した。

一九八〇年代初頭、つまりテープレコーダの時代においてカセットプレーヤーと録音済みテープ、マイク、エコーコントロールと歌集から成る基本的カラオケセットはだいたい四〇〇ドルだった。

一九八二年の日本における家庭用カラオケセットの売上は六億二五〇〇万ドルで、これは合衆国におけるガス器具の市場を上回っていた。その人気ぶりは凄まじく、翌年には約二万一一〇〇〇軒に及ぶ取扱店舗の多くが売り切れを出した。

一九九六年には力ラオケのセールスは一〇〇億ドルに登っている。今日における日本のカラオケ人口は五〇〇〇万人、歌い手たちが部屋を借りるカラオケボックスは1万4000軒に及んでいます。 日本におけるカラオケ文化について如何に壮大かつ不断の歴史が考え出されていようと、それが出現したのはおよそ三〇年前、すなわちこの国の経済成長がピークを迎えていた頃のことに過ぎない。

それがまず人気を博したのは大阪や神戸を中心とする関西地区の都会のバーで、「サラリーマン」すなわち「企業戦士」である男たちの典型的な夜の娯楽となった。カラオケ.バ?やナイトクラブはサラリーマンに社交の空間を提供した。

日々の厳しい業務の後、男たちが同僚たちと気軽に立ち寄って少々の酒を飲み、歌を楽しむ憩いの場である。これらのバーのほとんどは井上の「エイトジューク」に似ていなくもない機械を備えていた。

『タイム』誌の有名な定義によれば、まさしく「クローゼットのカルーソー」である。百円硬貨、すなわち当時の飲み物三~四杯分の金額を投入すると、機械が演奏を開始する。

次に歌う気満々の人物が歌集の中にその歌を見つけ、マイクを取り、満を持して歌い始める。人気の曲目は農村の民謡や軍歌から「想い出のサンフランシスコ」に及ぶ。カラオケと酒は単調な企業社会における究極のストレス解消手段となった。これほどリフレッシュできるものは他にない、退屈な一日の締めくくりは酔い潰れることしかないとまで言われたものである。

「リラックス!リラックス!ぶっ倒れるまでリラックス!」。カラオケとバドワイザーはそれを彼らにもたらしたのだ。日本では一般に「新しいトレンドは西から来る」と言われる。これは日本の近代史における関西地区、特に神戸の重要性を物語っている。

日本初のスーパーマーケットやサウナが作られたのも関西地区であり、また関西は即席や自動改札など、グローバルなサクセスストーリ^をいくつも生み出している。神戸は国際交易の中心であり、多くの西洋人を惹き付けて来た。かつて神戸の外国人居住区であった北野町では毎年ジャズフェスティバルが開かれゆえに、世界中のジャズファンのメッカとなっている。

神戸まつりはサンバのリズムとダンスが彩るパレードで知られている。こうした伝統がおそらく、神戸でカラオケが誕生したことと繋がっている。こうした国際的な繋がりに加えて、1970年代には生バンドの伴奏で素人が歌うことが神戸では広く人気を博していた。三井徹によれば、これがクレセント.ジュークの発明の契機となったという。これはジュークボックスの改良型であると同時にカラオケ機器の原型なのです。




歌=メッセージ

歌というのは、人間にとってもっとも身近でもっとも原始的な音楽行為である。
それが、日本語であろうと、英語であろうと、イタリア語であろうと、それを生み出す音楽のリズム、メロディ、ハーモニー、テンポにはそれぞれの国の言語の特徴が色濃く映し出されていると考えると実に深く思えてくる。

歌はあくまで人間の個人的なメッセージだと思う。
「社会が悪い」「彼(彼女)が好きだ」と歌っている主体は、常に個人。子供を眠らせる子守唄であっても、労働を共有する労働歌であっても、社会への反逆的なメッセージであっても、それを歌うのは、あくまで個人

しかし、それとはまったく逆に、人間というのは、個人では生きられない動物でもある。家族や社会といったユニットの中でしか存在しえない生き物でもある。つまり、人間にとって歌というのは、「生きていたい」「生きなければならない」「生かされている」主体と、その周りの人間や社会的環境とをつなぐメッセージであるとも言える。