モーツァルトの音楽を楽しむことによって気分が高まる
「モーツァルト効果」の真相
音楽の効用といえば、「モーツァルト効果」という言葉を思い出す人も多いだろう。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生誕250年にあたる2006年は、ヨーロッパを中心とした各国で祭典が行われ、モーツァルトの音楽が改めて評価された一年でもあった。

「モーツァルト効果」の発見は、心理学の分野でなされた「モーツァルトの音楽を聴かせた学生は、知能検査で高い成績を示した」という報告によるものである。1993年、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」に掲載されたこの発表を巡って論争が起こり、決着をみないまま現在も議論が続けられている。とはいえ「モーツァルト効果」という言葉自体は、アメリカの音楽研究家によって商標登録もされ、音楽療法の一つとして定着した感がある。

気持ちが朗らかになり、まるで木漏れ日が自分の頭の上でダンスを踊っているかのような気分で周囲の人たちと明るく話せる。発想が空気の中を疾走するようにどんどん湧いてくる。生きていてよかったと思える、絶好調の時の流れ。それはモーツァルトの音楽を聴いている時の感覚と非常に似ている。だから、「モーツァルト効果」も理解できなくはない。

ただ、人間の脳は高度に複雑なものである。断定できることが非常に限られる分野が脳科学だともいえる。
そんな折、「ネイチャー」に再び興味を惹かれる論文が掲載された。それは、『喜ばしい高揚』というものによって、モーツァルト効果は説明できるというものだった。

これはモーツァルトの音楽を「楽しむ」ことによって、気分が高まるということである。要するに、モーツァルトの音楽が好きでなければ、その効果は全く期待できないのだ。つまり、ロックでもジャズでも、自分の好きな音楽を聴いている時の精神はとてもいい状態にあるということになる。

好きな音楽を聴くと快いというのは、考えてみればごく自然なことだが、ここで注目したいのは、主体の能動性ということである。
自ら作る「喜び」や「楽しむ」という姿勢が脳を活性化させ、生への取り組みを前向きなものにしてくれるというこの報告は、脳科学で証明されていることとも一致する。

MRI(機能的磁気共鳴映像法)を用いた実験により、音楽を楽しんでいる時に活性化する脳内のニューロンは、人間が生きるために必要な欲動をつかさどる部分と等しいことが判明しているからである。つまり、「モーツァルト効果」の本質は、モーツァルトの音楽そのものの中にあるのではなく、それを受け取り、喜びの中にあるということだ。
ここでも私たちは、音楽の前で、自らの人生の充実度を試される存在なのである。


モーツァルトオペラ《フィガロの結婚》
モーツァルトが、マンハイムのウェーバー家の人たちと親しく交際するようになったのは22歳の時であるが、この時、彼は、ウェーバー家の次女アロイジアに恋をした。ところが、彼女の心はそれほど燃え上がらず、彼女はまもなくモーツァルトを捨てて、ランゲと結婚してしまうのである。

傷心のモーツァルトを慰めたのは、アロイジアのすぐ下の妹コンスタンッェであった。モーツァルトは、次第にコンスタンッェの魅力のとりことなり、自活のためウィーンに出て、ウェーバー家に下宿している間に、彼女と次第に親しくなっていった。モーツァルトは、父のレオポルトに彼女との結婚を許可してくれるように手紙を書き、その中で、コンスタンッェのことをこう述べている。

「彼女は善良で、心の正しい、まめまめしい娘です。浪費癖もないし、小綺麗だし、髪もきちんと自分で結います。妻として、世界中にこれ以上の女性を望めるでしょうか」大した気の入れようである。しかし、結婚前の男の目ほど当てにならないものはない。モーツァルトの父親と姉は、この結婚には大反対だった。二人とも口をそろえて、彼女との結婚を思いとどまるように言ってきた。

しかし、すでにコンスタンッェの魅力のとりことなっていた彼には、彼らの冷静な判断を受け入れる余地はなかった。彼は、父親に宛てて繰り返し嘆願の手紙を書いた。
「最愛の父上、この世のあらゆるもののためにお願いいたします。どうか、わたしを愛するコンスタンッェと結婚させてください。わたしの名誉のために、一人の娘の名誉のために、わたしの健康のために、一人の精神の平安のために。わたしの心は落ち着きを失い、考えは動揺しています。どうしてこんな状態でまともなことを考えられるでしょう。どうして仕事ができるでしょう……」

息子の考えが、これ以上動かせないのを知って、父親はしぶしぶ許可を与えた。1782年8月4日、モーツァルトとコンスタンッェは、ウィーンの聖シュテファン教会で結婚式を挙げた。時に新郎26歳、新婦は19歳であった。モーツァルトはこう報告している。

「わたしたちが結ばれた時、妻と同様、わたしまでが涙を流しました。他の人たちも、神父さんまで一緒に涙を流すほど感動しました」
こうして、思いどおり恋女房を手に入れたモーツァルトだったが、はたしてコンスタンッェが、彼の見込んだとおりの世界一の賢妻であったか、というと大いに疑問であった。

彼女は、少なくともハイドンの妻マリアのような手の施しようのない性悪の女ではなかったが、収入の不安定な作曲家の家庭を切り盛りするのには、あまりにも無能な主婦であった。金が入れば、それこそ湯水のように浪費し、金がなくなれば、食事は水とパン、真冬の暖房用燃料にもこと欠くという始末であった。

「結婚とはまさしく相互の誤解に基づくものである」というオスカー・ワィルドのことばがあるが、コンスタンッェを見るモーツァルトの目に、だいぶ狂いがあったわけである。それでもモーツァルトは、不服一つ言わず、弱い体に鞭打って、せっせと働いたのだった。

後世の人の中には、「モーツァルトを35歳という若さで殺したのはコンスタンッェだ」と言ってきつく彼女のことを責める人もいるが、彼女をそのように責めるのは酷というものである。第一に、夫のモーツァルトは、死ぬまで彼女を愛していたし、それ故に、わずか9年半の結婚生活の間に、おびただしい名曲を生んでいるからである。

ある意味では、彼女が〃悪妻″であったればこそ、モーツァルトは、〃一二大交響曲″や〃三大オペラ″その他もろもろの彼の晩年を飾る数多くの名作を生み出したのだ、ともいえるのである。

ところで三大オペラの第一作、オペラ《フィガロの結婚》は、モーツァルト好みの女性の登場する、庶民的なオペラである。頭の回転のおそろしく早い従僕のフィガロと、いつもにこにこして若々しくて、陽気で気が利いていて、色気があって」という小間使いのスザンナとの結婚をめぐって展開されるこのオペラは、モーツァルトにとって、一番書きやすい題材だったのではなかろうか。

このオペラは、18世紀フランスの生んだ鬼才ボーマルシェが書いた同名の戯曲をもととした四幕のオペラ・ブッファ(喜歌劇)で、台本作者のダ・ポンテは、「わたしが台本を書いている間に、モーツァルトがどんどん音楽をつけ、6週間ですべて完了した」と述べている。

例によって、作曲のテンポは、大変快調だったわけである。初演は、1786年の5月1日に、ウィーンのブルク劇場で皇帝臨席の下に行なわれ、大成功を収めたが、このオペラが上演されるまでには、いろいろと紆余曲折があったらしい。
というのは、ボーマルシェの原作は、フランス革命前夜の腐敗堕落した支配階級を痛烈に批判瑚笑した内容の戯曲で、本国ではもちろん、ウィーンでも好ましくない戯曲として上演が禁止されていた、いわくつきの作品であったからである。そうした作品をもととしたこのオペラが上演の許可を得ることができたのは、ダ・ポンテの政治力によるもので、彼は、問題になりそうなところをカットし、軽妙な台本を書きあげて、皇帝の許可をとりつけることに成功したのである。

このオペラは、筋からいうと、ロッシーニが作曲したオペラ《セピリヤの理髪師》の続編に当たっている。スペインの貴族アルマヴィーヴァ伯爵は、フィガロの尽力で、今の奥方ロジーナと一緒になることができたにもかかわらず、生来の浮気心は少しも改まらず、彼の心の中には、すでに秋風が吹いていた。

そこへ降ってわいたのが、今は彼の従僕となっているフィガロと小間使いのスザンナとの結婚話である。むろん、伯爵はこの結婚に反対ではない。しかし、スザンナのような可愛らしい娘を、そのまま、それこそ一指も触れずにフィガロに渡してしまうのは残念だ。そこで、ロジーナとの結婚の時に廃止した初夜権を復活させて、スザンナを合法的にものにしてしまおうという、いとも不埒なことを思いつく。

この「初夜権」というのは、封建時代に盛んだった悪習で、百科事典をひくとこう書いてある。「庶民の婚姻に際し、領主、酋長、聖職者などが、花婿に先立って花嫁と同衾する権利」なんともひどい慣習があったものだが、この初夜権のことを頭においておかないと、オペラ《フィガロの結婚》の面白さは半減してしまうのである。

いよいよ、結婚式の当日がやってくる。殿様は、今日こそスザンナをわが腕に、と考えているが、花婿のフィガロの方は、そんなこととは露知らず、ただもうやたらに喜んでいる、というところから、この不朽の名作《フィガロの結婚》の幕が開く。

第一幕スペインのセビリヤの町に近いアルマヴィーヴァ伯爵邸内の一室。フィガロとスザンナは、今日に迫った結婚式の準備に、なにやかやと忙しい。フィガロは、殿様が二人のために立派な部屋を下さったと言って喜ぶが、スザンナは、これには何か魂胆がありそうだと言って、殿様は初夜権の復活を考えているらしい、と彼女の心配をもらすので、フィガロは大いに憤慨する。

フィガロが部屋を出ていったあと、おませな小姓のケルビーノが入って来て、スザンナに、庭師アントニオの娘のバルバリーナとのデートが見つかったことを話し、伯爵へのとりなしを頼む。そこへ当の伯爵が現われるので、ケルピーノはあわててイスの陰に隠れる。

伯爵は、早速スザンナを口説きにかかるが、音楽教師のバジリオが姿を現わすので、これまたイスの陰に隠れる。すると、パジリオは、伯爵が聞いているとも知らず、ケルビーノが奥方と怪しいらしいなどと無責任な噂話を始めるので、伯爵は怒って姿を現わす。そしてケルビーノも伯爵に見つかり、罰として連隊づきの士官としてすぐ出発するように、と申し渡される。
青菜に塩のケルビーノを、フィガロが「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」と励ますところで幕となる。

第二幕伯爵夫人の部屋。伯爵夫人は、カヴァティーナ〈愛の神様みそなわせ〉を歌って、最近、夫の愛が次第に冷めていくのを嘆き悲しんでいる。そこヘフィガロとスザンナがやってきて、ケルビーノに女装させ、伯爵をにせ手紙でおびき出して懲らしめよう、と相談する。そのあと、フィガロと入れ代わりに当のケルビーノが現われ、カンツォーナ〈恋とはどんなものかしら〉を歌う。

そこで、夫人とスザンナが試しにケルビーノに女装をさせているところへ、突然、伯爵が現われるので、一同あわてふためく。騒ぎが無事に収まったところへ、女中頭のマルチェリーナと伯爵夫人の娘時代の後見人のバルトロが現われ、借金の証文をかざして、フィガロとマルチェリーナの結婚の履行を迫るので、知恵者のフィガロも、進退きわまってしまう。

第三幕大広間。伯爵夫人と打ち合わせしたとおり、スザンナは伯爵と夜の密会を約束し、伯爵を喜ばせる。まもなく、フィガロの借金の証文をめぐって裁判が始まるが、フィガロが、実はバルトロとマルチェリーナとの間に生まれ、その後誘拐されて行方不明になっていた息子であったことが判明し、事件は無事落着する。このあと、スザンナと伯爵夫人は、額を集めて伯爵誘い出しのにせ手紙を書く。ここで二人によって歌われるのが、有名な〈手紙の二重唱〉である。

いよいよ、フィガロとスザンナの結婚の時がやってきて、にぎやかに結婚式が始まる。正装した花嫁のスザンナは、大胆にも、ピンで封じたくだんのにせ手紙を、あたりの目を盗んで伯爵に手渡す。伯爵がそのピンを返せば、デートはよしというわけだが、伯爵は過ってピンを指に刺し、落としてしまう。困った顔をする伯爵。そうしているうちに、式場の華やいだ気分は最高潮に達する。

第四幕夕暮れ時の伯爵邸の庭。バルバリーナが殿様から頼まれて例のピンを探しているが、なかなか見つからず、泣きべそをかいている。そこへ通りかかって事情を聞いたフィガロは、本当にスザンナが浮気をすると思い込んで、いきり立つ。

結婚式の夜に、花嫁が浮気をするとは何ごとか。よろしい、スザンナがそのような気持ちなら、オレはその不義の現場を押さえ、伯爵とスザンナに赤恥をかかせてやろう、憤然としたフィガロが物陰に身をひそめて待っていると、伯爵夫人とスザンナとが、お互いに衣装を取り換えて現われる。フィガロは、もちろん、この二人が衣装を取り換えていることなど露知らない。こうして大芝居が始まる。

まもなく伯爵がやってきて、スザンナに成りすました伯爵夫人を口説きにかかる。フィガロはそれを見て、それでは自分は伯爵夫人をと、にせの伯爵夫人に言い寄るが、すぐに声でスザンナだと見破り、そしらぬ顔で芝居を続ける。二人を見つけた伯爵が、自分の浮気を棚に上げ、不義者見つけたと、大声で皆を呼び集めてみると、何と今までスザンナだと思って甘い愛のことばをささやいていた相手が、奥方だったので、それまでの勢いはどこへやら、「奥よ、許せよ…」と夫人にわびる。夫人は、「過ちは誰にもあること…」と言って伯爵を許し、めでたく幕となる。

この《フィガロの結婚》は、モーツァルトの得意としたオペラ・ブッファの傑作である。ボーマルシェの書いた原作の戯曲は、今日ではそれほど上演される機会はないが、モーツァルトのオペラの方は、最も人気のあるオペラの一つとして、世界中の人たちから愛され、親しまれている。音楽もずば抜けて美しいが、登場人物がそれぞれ生き生きと描かれているからである。

このオペラに登場する女性たちの中で、とりわけ生彩を帯び、魅力に富んでいるのは、やはりスザンナであるが、この下町娘的なチャーミングなスザンナの中に、モーツァルトは、娘時代のコンスタンッェの面影を見出しながら、作曲の筆を進めていたのではなかろうか。


モーツァルトとザルツブルク
世界で300以上もの言語に翻訳されているといわれる《清しこの夜》という賛美歌は、このザルツブルク近郊オベルンドルフの教会で1818年に初演されたと伝えられている。モーツァルトの音楽に表れるなにものかと通じる響きを、クリスマス・キャロルの名作の中に聴く。そして、そのような美しい音楽を誕生させた風土とは、一体なんだったのだろうと思いを寄せる。

それは、月明かりに照らされ銀色に輝く一面の雪原かもしれないし、春の日差しに抱かれて次第にふくらむ木の芽の色合いかもしれない。あるいはザルツァッハ川から眺めるホーエンザルツブルク城の風情に、見上げ、目指すべき芸術の高みの誇らしさが感受されるのかもしれない。

ある文化や風土に固有の美質は、外部の人間によって発見されるというのが、文化人類学の一つの考え方だという。クラシック音楽のまさに「首都」だったウィーンの洗練された雰囲気。破綻の淵にあったリヒャルト・ワーグナーを救い、バイエルン国王ルートヴィッヒ二世が住んだ、ミュンヘンの驚くほど控えめな佇まい。

その中間に位置する麗しき都、ザルツブルク。このエリアについて考える時に立ち上がる特別な思いは、ひょっとしたら全く別の文化的伝統を持つ日本人ならではのユニークな視点なのかもしれない。
モーツァルトの音楽は、もちろん普遍的な価値を持つ。

その一方で、不朽の美がいっさいの地上的基礎を持たずに、天から降ってくるものではないことも事実である。ザルツブルクという土地の固有性が、モーツァルトという天才を通して一つの天上の風景を見せてくれたのだとしたら、これ以上の奇跡がこの世にあるだろうか。

自らを育んだ「個別」に寄り添って、とことん付き合ってみることで、かえって人類全体につながるような普遍に達することができる。それと同じように、作曲家を育んだ環境の個性に注目することで、音楽が生まれる謎が解ける気がする。こうしてモーツァルトとザルツブルクの関係を考える度に、音楽の誕生という、なんとも味わい深い創造の秘儀に思いが至るのである。
 



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