アニソンは世界に花咲く
1.アニメソングの黎明期
日本のアニメーション制作の歴史は20世紀の前半、大正時代にアメリカやフランスで盛んに制作されていた短編アニメーションが輸入されたことから始まりました。その影響を受けて日本でもオリジナルのアニメーションが制作されるようになったのです。

時代が昭和に移るとそれまでのサイレント映画にトーキー技術が導入されて、音がつくようになります。1929年に制作された短編『黒ニャゴ』は、SP盤のレコードに吹き込まれた同名の童謡をアニメーションとシンクロさせたもので、日本でアニメと歌が結びついた最初の例となりました。

「黒ニャゴ」は二村定一やフランク永井の歌唱で知られる「君恋し」と同じく、作詞時雨音羽、作曲佐々紅華のコンビによって創られた童謡で、のちに流行歌歌手に転向して「煙草屋の娘」をヒットさせることになる童謡歌手、平井アニメーションを担当した大藤信郎は、日本のアニメーション制作におけるパイオニアの1人として名を残していますが、その手法は江戸千代紙の切り絵で背景やキャラクターを表現し、それを数枚のガラス板の間にはさむことで奥行きを感じさせるというものでした。

戦後を迎えてモノクロからカラー映画の時代になると、大藤は色セロファンを駆使したカラー影絵へと制作手法を移行します。1952年に制作された『くじら』はカンヌ国際映画祭にも出展されて、短編アニメーション部門の2位賞、パブロ・ピカソやジャン・コクトーからも絶賛されるなど、国際的に高い評価を得ました。

アニメソングと言っても、NHK『みんなのうた』に代表されるように、歌の世界をアニメーションで表現したものと、アニメーション作品の主題歌や挿入歌として作られたものと、2つに大別することができます。

前者の第1号が「黒ニャゴ」とすれば、後者の最初の例と在るのは、戦時中の1944年に制作された中編アニメーション映画、『フクチャンの潜水艦』の主題歌「フクちゃん部隊出撃の歌」と、その挿入歌で古川ロッパが歌った「潜水艦の臺所」(詞、横山隆一・曲、服部逸郎)の2曲です。

タイトルからもわかる通り、戦意昂揚を目的に海軍省が非公式に後援して制作された映画で、当然のように「フクちゃん部隊出撃の歌」も勇ましい軍歌調のものでした。
「宇宙戦艦ヤマト」(詞、阿久悠。曲、宮川泰)を筆頭に60年代~70年代のアニメソングには、軍歌調のものが数多く見受けられますが、その源流はここにあると言えるのかもしれません。

テレビアニメの誕生から、アニメブームの到来まで1958年に日本のテレビ放送が開始されると、そのコンテンツとしてアニメの需要が高まっていきます。しかし制作環境の問題もあって、毎週レギュラーで放送されるシリーズ作品は、そのすべてがアメリカなどから輸入された品で、国産アニメはコマーシャルや単発の劇場作品、短編作品などにとどまっていました。

そんな状況を打ち破ったのが、1963年から放送された国産初となる30分シリーズのテレビアニメ、『鉄腕アトム』です。最高視聴率40%を記録し、丸4年にわたって放送されるほどの人気作品となりました。その主題歌である上高田少年合唱団が歌う「鉄腕アトム」(詞、谷川俊太郎。曲、高井達雄)もヒット、数多くのアーティストにもカバーされ、2003年にはJR高田馬場で、駅の発車メロディに採用されるなど、老若男女に広く愛される歌として、今ではすっかり定着しています。

鉄腕アトムの制作を手がけていたのは、原作者である漫画家の手塚治虫が設立した虫プロダクションです。その成功に刺激されて、それ以外の制作会社も30分シリーズのテレビアニメ作品の制作に乗り出します。こうして本格的にテレビアニメと、アニメソングの歴史が始まったのでした。

30分アニメの主題歌といえば、フルサイズの楽曲から1分30秒に編集されたバージョンをオンエアするのが現在では一般的になっていますが、当時はまだまだ手探りの時代、時間的なフォーマットも定まっておらず、オープニングとエンディングに同じ楽曲が使われることも珍しくはありませんでした。

この時期の代表的なアニメソングとしては、西六郷少年合唱団の「オオカミ少年ケンのテーマ」(詞、月岡貞夫。曲、小林亜星)狼少年ケン主題歌/1963年)、デューク・エイセスの「鉄人羽号」(詞・曲、三木鶏郎)(1963年)、石川進の「オバケのQ太郎」(詞、東京ムービー企画部。曲、広瀬健次郎))、スリー・グレイセスの「魔法使いサリー」(詞、山本清。曲、小林亜星))、ボーカル・ショップの「マッハ・ゴー・ゴー・ゴー」(詞、吉田竜夫。補作詞、伊藤アキラ。曲、越部信義)などが挙げられます。

番組名と楽曲名が同一のもの、また合唱団やコーラス・グループが歌った例が多いのもこの時代の大きな特色と言えます。『鉄人記号』ではエンディング間近の歌詞に番組スポンサーのCMが入っていました。

2.1970年代に入ると『あしたのジョー』『アニメンタリー決断』といった、それまでの少年少女向けではなく、大人層の視聴を意識した作品が登場し始めます。74年の『宇宙戦艦ヤマト』は、本放送の視聴率こそ不振だったものの、SFファンを中心に次第に人気を広げて、再放送で高視聴率を記録した後に、劇場版が大ヒットとなりました。そこから続編がいくつも作られ、社会現象と言えるほどの人気を博しました。

また72年のマジンガーZ、74年の『アルプスの少女ハイジ』、75年から始まる『タイムポカン』シリーズ、76年の『キャンディ・キャンディ』、そして79年の『機動戦士ガンダム』など、その後のアニメに大きな影響を与えた作品が次々と登場したことで、アニメブームがいっそう拡大していったのでこの頃に入ると、それまで多数派だった合唱スタイルよりも、歌手をフィーチャーした楽曲が主流になっていきます。

アニメや特撮の主題歌を中心に歌う歌手が現れ、特に水木一郎(代表作芸マジンガーZ」(詞、東文彦。曲、渡辺宙明))、ささきいさお(代表作芸宇宙戦艦ヤマト」)、堀江美都子(代表作弓キャンディ・キャンディ)(詞、名木田恵子。曲、渡辺岳夫))の3人は数多くの作品の主題歌を歌い、現在でもアニソン歌手の先駆者として多くのアニメファンにリスペクトされています。


この時代に普及の兆しを見せていたインターネットでも、内容についての議論や討論が行われ、2次創作もこれまでにない盛り上がりを見せました。
当然ながら、作品を彩る音楽も人気を集め、関連のCD作品は軒並みヒットとなり、オリコンチャートの上位を賑わせました。

その中でも最も有名な楽曲、高橋洋子の「残酷な天使のテーゼ」(詞、及川眠子。曲、佐藤英敏)が使用されたオープニング映像は、楽曲との一体感があって、現在でもアニメの歴史に残るものとして高く評価されています。

「残酷な天使のテーゼ」は、常にカラオケチャートの上位に入っていて、JASRAC賞の金賞を受賞し、更に根強く支持されていることを示しました。さて、放送していたテレビ東京は1996年秋から深夜枠でのアニメ放送を始めます。

そして97年春に公開されたこの劇場版に合わせて深夜に再放送を行ったところ、5~6%とかなり高い視聴率を記録しました。これがきっかけとなり、テレビ東京は深夜アニメの放送枠を拡大させ、他局もそれに追随して深夜アニメが定着していきます。

ミドルティーン以上を視聴対象にした作品が深夜に多数放送されるようになり、アニメ業界は一気に活性化しました。1990~97年の間は年間90本程度で推移していたテレピアニメの制作タイトル数が、1998年には132本と急増、ピークを迎えた2006年には279本と10年で約3倍となり、現在でも年間200本以上の作品が制作されています。

このように制作作品が増え、アニメの作風も幅広くなったことで、アニメソングや劇伴といったアニメ音楽は、あらゆるジャンルの音楽を内包するようになっていきます。ロック、ジャズ、ヘビー・メタル、ヒップホップ、ラテン、テクノ…様々なジャンルの楽曲が制作され、さらにはそれをミクスチャーした楽曲が生まれてきます。

それに従って、菅野よう子(代表作当カウボーイビバップ)、梶浦由記(魔法少女まどか☆マギカ)、神前さとるといった作曲家にも注目が集まるようになりました。

2006年に放送された『涼宮ハルヒの憂鬱』の第12話「ライブアライブ」では、主人公・涼宮ハルヒたちが学園祭でのバンド演奏で披露するシーンが描かれました。そこではギターソロやチョーキング、ドラムのフィルインなどが、それまでのテレビアニメの常識を覆すようなリアリティを持って描写され、視聴者はもちろん制作側にも大きな衝撃を与えました。これをきっかけにして、『のだめカンタービレ、けいおん!坂道のアポロンなど、歌ではなく演奏に重点を置き、リアルな演奏シーンを見せていく音楽アニメが登場するようになります。

2013年にはアニメ『進撃の巨人』が大ヒット、主題歌の「紅蓮の弓矢」と「自由の翼」(いずれも詞・曲、ReVO)のシングル「自由への進撃」が、オリコン累計20万枚を超えるヒットとなったのは記憶に新しいところです。
アニメとアニメソングが長い歴史を経て、ひとつの文化として定着したことを示している事象なのではないでしょうか。


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