バッハ音楽の捧げもの
1. 音楽の本の中でよくお目にかかるので、あなたもご存じだと思うが、「サン・スーシー宮におけるフルート演奏会」と題された油絵がある。
サン・スーシー宮というのは、ベルリン市郊外のポツダムにある離宮の名前で、18世紀の中頃に、フリードリヒ大王によって建てられたものである。

この「サン・スーシー宮におけるフルート演奏会」という絵は、その離宮の主であるフリードリヒ大王が、広間でフルート演奏を聴かせているところを描いたもので、画面の中央にフリードリヒ大王が譜面台を前にしてフルートを構えて立ち、その横手に受け持ちの楽器を演奏する数人の楽士たちが並んでいる。そしてその周囲に、それぞれ神妙な顔つきで大王の演奏に耳を傾けている賓客や廷臣たちが場所を占める、といった構図になっている。

この絵自体は、19冊編の画家アドルフ・メンッェルの筆になる想像画だが、この絵に描かれたような場面は、実際にもしばしばあったと考えてよかろう。そして、のちにバッハが《音楽の捧げもの》と題する作品を作曲し、フリードリヒ大王に献呈する、そもそもの発端となった、大王とバッハの歴史的な出会いの瞬間も、そのような状況の下で実現したのだった。

2.音楽の父バッハは、2回の結婚で20人の子宝に恵まれたが、そのうちで成人して父のあとを継ぎ、音楽家になった息子が4人いる。次男のカール・フィリップ・エマヌエルがその中では最も社会的に成功した存在で、1738年から約30年間、フリードリヒ大王に仕え、その後はテレマンのあとをおそってハンブルクの音楽監督におさまり、死ぬまでその地位を保った。愛息エマヌエルがドイツ(当時はプロイセン)国王のフリードリヒ大王の宮廷音楽家として任命されたときの老バッハの喜びは大変なものだったに違いない。

ベルリンは当時、次第に頭角を現わしてきたマンハイムとともに、ヨーロッパ有数の音楽都市として、その存在が知れわたっていたからである。
フリードリヒ大王の宮廷には、主君の熱烈な音楽熱にひかれて、ヨーロッパ中から音楽家の逸材が集まって来ていた。そうした鐸々たる音楽家たちと伍して、わが子エマヌエルが人後に落ちない働きを示していることを知るのは、老バッハにとってどんなにか心強く、また誇らしいことだったに違いない。エマヌエルからは手紙で、「ぜひ一度様子を見に来てほしい」とたびたび言ってきており、バッハも何度かベルリン旅行を計画したが、結局はいつもお流れになり、なかなか実現できないでいた。

そうこうしているうちに、1747年の春、エマヌエルから、「初孫の顔を見に、ぜひ訪ねてほしい」と言ってきた。エマヌエルはベルリンで結婚し、一人の男の子の親になっていたのである。バッハにとっては初めての孫に当たるヨハン・アウグストは、1745年の11月30日に生まれ、可愛い盛りになっていた。初孫の近況を手紙で知らされたバッハは、矢も盾もたまらず、ベルリン訪問の旅に立った。

バッハを乗せた馬車がベルリンに到着したのは、1747年の5月7日の夕暮れであったが、このニュースは時を移さず、サン・スーシー宮殿の大王のもとに報告された。大王は、エマヌエルからバッハのベルリン訪問の話を聞いて知っていたので、バッハが到着する前から、その日を待ちわびていたのである。

フリードリヒ大王が待ちに待ったニュースは、栢例の夜の演奏会が始まる直前に届いた。シュピッタによると、大王は片手にフルートを持ったまま、役人の提出した書類をチェックしていたが、そこにバッハの名前を発見すると、楽員に向かってこう叫んだという。

「諸君、バッハ先生が到着されたぞ!」
その夜予定されていた演奏会はとりやめとなり、ただちにバッハを迎える使者が立てられた。使者がバッハの宿に行ってみると、彼はまだ旅行着姿のままであったが、「即刻お連れ申せ」という大王の指示に忠実に従った使者は、バッハに着替えのいとまを与えず、旅装のままのバッハをサン・スーシー宮に案内したのだった。

大王は鄭重にバッハを迎え入れ、旅の疲れをねぎらったあと、大王ご自慢の新着のジルバーマンのピアノのおいてあるいくつかの部屋を、みずから先頭に立って案内して歩いた。大王は、バッハがオルガンやチェンバロの名手であることをエマヌエルから聞いてよく知っていたので、当時最新の楽器であったジルバーマンのピアノについて、専門家としての感想を知りたいと思ったからである。大王ご自慢の楽器を試奏したあと、バッハがどのような意見を述べたかは、残念ながらつまびらかではない。ただ、各部屋においてあったピアノを演奏するたびに、大王やお付きの廷臣たちを感心させたことは確かである。

このサン・スーシー宮にあったピアノをひととおり見てまわると、一行は再び広間に戻り、そこで改めてバッハのピアノ演奏が行なわれた。演奏を始める前にバッハは、大王に新しい主題をいただきたいと願い出た。その新しい主題に基づくカノンやフーガ、変奏曲などを、即興で演奏して聴かせよう、というわけである。

ここで大王がバッハの求めに応じて与えた主題は、必ずしも即興演奏のために最適な旋律とはいえないが、いかにも国王にふさわしい堂々としたもので、この主題に魅せられたバッハは、一時間以上も即興演奏を繰り広げ、鍵盤の王者の貫禄を示したのだった。聞きしにまさるバッハの力量に圧倒された大王は、その翌日の夜も、バッハをサン・スーシー宮に招き、その即興演奏を楽しんだが、最後にこう切り出した。

「どうだろう。わたしの主題を使った六声のフーガを聴きたいが、だめかな?」
フーガは対位法音楽のうちで、最も高度で複雑な作品である。当然声部の数が多くなれば、まとめるのがずっと難しくなる。バッハほどの名手でも即興で六声のフーガを演奏するのは容易ではない。まして、大王の主題はフーガにまとめるには不適当なところがあった。バッハは素直に答えた。

「残念ながら陛下のご希望には添い副いかねます。しかし…」
「しかし、何じゃ」
「もし、陛下がフーガの主題として別のものを使ってもよいとお認めくだされば、拙いながら一曲お耳に入れたく存じます」
こうしてバッハは、大王の主題よりもさらにフーガにふさわしい新しい主題を用いて、精巧な6声のフーガを即興演奏し、「さすがはバッハだ」と、並みいる人たちを感服させたのだった。

このサン・スーシー宮殿における御前演奏が、いかにバッハにとって忘れがたいものとなったかは、容易に想像できよう。念願だった息子エマヌエル夫妻と初孫の顔も見て、心足りた思いでライプツィヒに戻ってきたバッハは、その時のテーマをもとにきちんとした作品をつくり、次のような献呈文をそえて大王に捧げた。

「最も仁慈なる国王陛下、ここに謹しんで音楽の捧げものを献呈いたします。その最も高貴なる部分は、陛下ご自身の手になるものであります。過日ポツダムに滞在いたしました折、畏れ多くも陛下御自ら、クラヴィーアによりフーガのための主題をお弾き遊ばされ、御前でその主題を展開せよと御下命になりました。

陛下の御下命に副いたてまつることはわたくしの恭順なる義務でございましたが、何分にも準備不足のため、かのやんごとなきすぐれた主題にふさわしき演奏を行なうことができませんでした。それゆえ、わたくしは王者にふさわしい陛下の主題を完全に展開し、それを広く世界に知らしめるべく決意したのでございます。

……畏れ多くも陛下がこの拙い作品を御嘉納賜わり、陛下の最も恭順なる僕である作者に、これからのちも、いともかしこき御恵みを垂れたまわんことを、謹しんで乞い願いたてまつります。ライプツィヒにて、1747年7月7日」

バッハがこの作品を作曲した意図は、献呈文から明らかであろう。音楽の王者バッハと歴史上の偉大な君主の一人に数えられるフリードリヒ大王との出会いからこの曲は生まれた。バッハは即興の御前演奏では十分に生かしきれなかった主題の可能性を、じっくりと時間をかけて追究し、彼の最晩年の《フーガの技法》とともに、対位法音楽の最高峰と目される傑作に仕上げたのである。

現在《音楽の捧げもの》という名で呼ばれる作品は、この時大王に献呈された曲よりは若干数が多く、〈三声のリチェルカーレ〉、〈無限カノン〉、〈さまざまなカノン〉(五曲)、〈カノン風のフーガ〉、〈六声のリチェルカーレ〉、〈二声のカノン〉、〈四声のカノン〉、〈トリオ・ソナタ〉、〈無限カノン〉といった曲からなっている。曲中「リチェルカーレ」と名づけられているのは「フーガ」のことで、最大の眼目はもちろん〈六声のリチェルカーレ〉である。

楽譜には〈トリオ・ソナタ〉と最後の〈無限カノン〉を除いて使用楽器の指定がなく、演奏者によってさまざまな楽器編成で演奏されている。ただ曲の由来から考えると、〈三声のリチェルカーレ〉と〈六声のリチェルカーレ〉は、チェンバロのような鍵盤楽器で演奏した方が、よりバッハの意図に副うことになると思う。
どのような楽器の組み合わせによる演奏にせよ、この《音楽の捧げもの》を耳にしたことのある人は、各曲の中心となっている、あのフリードリヒ大王みずから与えた主題の堂々たる風格に打たれるに違いない。

残念なのは、この最高の贈りものを贈られた当のフリードリヒ大王が、この曲集の演奏を生涯にただの一度も聴いたことがないと伝えられていることだ。

この中には、大王のために用意されたフルートとヴァイオリンと通奏低音のための〈トリオ・ソナタ〉という傑作が含まれているというのに、大王はそれすら演奏しようとはせず、またお抱えの演奏家たちに演奏させることも、ついぞなかったという。そうした大王の冷たい態度はまことに悲しむべきものだが、この《音楽の捧げもの》が、全世界の音楽愛好者によって共有され、広く親しまれていることを知ったら、地下でバッハもきっと喜んでくれることだろう。


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