音楽なしでは生きられない
この世には、音楽にかかわらないものはなにもない
生きるということは、時々刻々のすべてが音楽であって、自分の〈生〉の履歴は余さず音楽として感じることができるのではないか。

世界はおしなべて音楽なのではないか。なにをおおげさな、と思われるだろうか。だが、脳科学を研究しながら、音楽の本質をつきつめればつきつめるほど、あらゆる自分の行為を音楽として実感し始めているのは、まぎれもない事実なのである。目の前の事象を音楽として感受する姿勢は、ますます自分の中で徹したものになりつつある。

なぜこのような態度を持つに至ったかと問われれば、次のように答えるしかない。「意味」の領域がはらむ不健康な側面から自分を解き放ち、人生を全うする手段として、音楽を選んだのだと。

音楽は意味から自由であり、生命運動に近い。だから、音楽に対する関心は一貫して生命哲学と密接につながっている。おそらく、ニーチェが音楽に興味を持っていたのも、そういう理由からではないか。

哲学者ニーチェは「音楽なしで生をとらえることはできない」と語った。彼は、「歌と箴言」と題した次のような詩を残している。

初めに拍子、終わりに脚韻、
全部をとおして音楽の魂、

かくして成りしこの世ならぬ声音をば

人は名づけて歌とよぶ。いっそ手短に言うなれば、
歌とはすなわち「音楽としての言葉。」

筬言は新しき領分をもつ、

卿笑したり、浮かれ歩いたり、跳ねたりがお手のもの、
ただし歌うことはゆめ叶わず、されば
ジンシュブルフジン
箴言とはすなわち「歌なき精神。」

われ諸君にこの二つながらを棒ぐること許さるるを得んか?

ニーチェは、古代ギリシャの杼情詩の礎は、言葉以前の音楽的気分であると語った。
この詩と同様に、音楽というものを、言語や意味から切り離してとらえる態度を一貫して見せている。音楽の根源性は、意味に囚われることのない性質と見なしているのだ。


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