日本のジャズはどうなっている

日本のジャズ文化二十世紀初頭にアメリカに生まれたジャズが日本に入ってきたのは、明治から大正に入り、第一次世界大戦が勃発した頃だ。当時は社交ダンスが華やかなりし時期で、ダンス音楽として輸入されたのである。

1930年代にもなると、東京を中心にダンス・ホールがお目見えし、日本人によるバンド演奏も行なわれるなど、第一次ジャズ・ブームが起こる。わが国最初の本格的なジャズメンとの評価を得るトランペッター南里文雄が活躍を始めたのも、そんな時代である。

しかし、ジャズが本当に日本にもたらされたのは、第二次世界大戦後の進駐軍占領時代といっていいだろう。
それというのも、戦争が激しくなる1940年前後には、ジャズメンの主な活躍の場であったダンス・ホールは閉鎖され、やがては「敵性音楽」との理由から、演奏そのものが禁止されるなど、ジャズの空白期間に入るからである。

戦後のジャズ。それは、進駐軍として駐留する兵隊の娯楽として、NHKがジャズなどアメリカのポピュラー音楽を放送したことが直接のきっかけである。そうして日本人の心をとらえていく。さらに本場の巨匠たちが来日するにいたって、第二次ブームとも呼ぶべき様相を呈したのである。

もちろん、進駐軍とともにもたらされたジャズは、アメリカと同じようなスタイルの変化を経ながらも日本にすっかり定着していき、一方、日本の流行歌にも大きな影響力を及ぼすのである。

そんな日本のジャズで活躍した多くのプレイヤーは、ジャズの本場アメリカを拠点に活躍。日本におけるジャズも、本場がそうであるように80年代以降やや沈降気味だがそもそもは輪入された音楽であるジャズの世界でも、世界に通用するアーティストを輩出していることだけは忘れてはならない。





ロックは若者の心をとらえた
ロックとは、電気楽器の使用に特徴があるポピュラー音楽の一種で、誕生から時を経てロックンロールを略してロックと呼ぶようになった

その誕生は、黒人音楽のリズム&ルース(R&B)と白人音楽のカントリー&ウエスタンが、アメリカ社会に起こったさまざまな事件や改革を背景に、異種配合を遂げた成果である。それらの音楽が混じり合って、 1950年代にロックンロールという新しい音楽が産をあげた。電気楽器が普及し始めたのもちょうどその頃で、電気楽器を用いた荒々しいサウンドとビートを持つあげた音楽が生まれたのである。

戦後からそれまで、ラジオから流れるポピュラーミュージックは、大人向けや、子供向けといった区別のない画一的なものばかりであった。

ロックンロールが誕生したとき大手レコード会社はロックンロールという新しい音楽をまったく重要視していなかった。彼らはれを異端の音楽とみなし、一過性のブームにすぎないと考えていたのである。

しかし、1950年代、とりわけその後半から、大手レコード会社によるプロの作曲家や音楽プロデューサーで占められた既存の甘いポップスに辟易していた若者が、 新しい粗削なサウンドにティーンエイジャー特有のいらだちや反抗といったエネルギーを投影させ、ここにロックンロールは爆発的に広まっていく。

やがて反抗のイメージだけではくくられないロックという言葉で呼ばれ、アメリカ化に浸透するとともに、日常生活に密着したものになる。この音楽の放つ自由で開放的なメッセージが、愛や平和という時代のスローガンとなっていくのである。