1.音楽と映像の関係は良好なのか

音楽と映像の関係は悪い?
映画にしてもテレビ番組にしてもビデオ作品にしても、映像作品はほとんどの場合、音楽をともなうものだ。

作品の内容がドラマやアニメー ションなど主としてフィクションものの場合は、主題歌や挿入歌に加えて劇伴音楽と呼ばれるBGMをともなうことが普通である。

またドキュメントや記録映像などノンフィクションの場合でも、タイトルバックの音楽に加えてBGMが挿入される。ニュースやスポーツのプログラムでさえ、タイトルやエンディングに短いテーマ音楽が使われることがいまでは当たり前となった。

映像に付随する音楽はあくまでも脇役であり、その役どころは主役である映像の内容を引き立たせることにある。

ただし、場合によっては音楽が映像の単なる引き立て役という付随的な立場を超えて、結果として準主役や主役をつとめてしまうこともある。例えば映画やテレビドラマが、それ自体は大きなヒット作品にはならなかったにもかかわらず、その主題歌やテーマソングがヒット曲となって、映像作品を離れてひとり歩きをしたり、そのためにその音楽を聴くことが主たる目的で、映像作品が鑑賞される場合などである。

いずれにしても一般的な映像作品では初めに映像があり、それに音楽を付加することによって作品の完成度を高めようとすることが行われる。

映像作品には、最初から音楽が主役となっているものがある。それらは映像作品でありながら、映像と音楽の立場が逆転して音楽が主役を演じている。そのような作品の多くは、単純に映像が音楽の引き立て役に回ったものではない。

例えば音楽映像の1つのタイプにミュージシャンの演奏を撮影した、いわゆるライブ映像があるが、この場合の映像は音楽を引き立てているというのではなく、映像と音楽はもっと一体化している。

さらに音楽映像のもう1つのタイプに、音楽ビデオにしばしば見られるイメージビデオあるいはコンセプトビデオと呼ばれるものがある。こ れは音楽の作り手や演奏家が抱いている音楽のイメージやコンセプトがさまざまな手法で映像化されるものだが、この場合も映像と音楽は、ライブ映像とは別の意味で一体化している。

このように音楽が主役を演じる音楽映像は、音楽そのものがビジュアル化されるものであり、そこにはプロデューサーやアーティストの意図するその音楽のコンセプト、あるいはアーティストの抱くその音楽に対するイメージなど、アーティストの音楽や音楽性がさまざまな形で映像として具象化されている。

この場合は一般の映像作品とは逆に、初めに音楽があり、それに映像を付加することにより、その音楽の作品としての完成度をさらに高めようとするものである。

音楽というものはそれ自体ですでに完成されたものであり、映像のサポートはあまり意味がなく、むしろ無用なものであるという意見もある。 このような見方をする人にとっては、音楽は聴く人1人ひとりが個別のイマジネーションを抱くものであり、音楽映像はそれを限定してしまう ものということになる。

しかしこのような考えは少数派である。音楽にかかわるプロデューサーやアーティストの多くは、音楽は映像との結びつきによって、作品としての価値が高まり完成度が上がると考えている。

例えばMTVで流れるアメリカやイギリスのビデオクリップを見て、ポピュラー音楽のすばらしさを知り、音楽の道を選んだというミュージシャンや音楽関係者は多い。だから現在もさまざまな音楽映像の創作活動が行われているし、今後もそれが続けられることは間違いないだろう。

音楽映像に対して、このような相反する意見があることも念頭におきながら、音楽映像のパッケージ化という形で存在する音楽ビデオについて、その特性、役割などをいろいろな角度から確認すると同時に、主としてレコード会社の手で行われてきた、音楽ビデオにかかわるさまざまの制作活動やマーケティング活動、その結果としての音楽市場の動きについて分析してみることにする。→レコード会社と音楽について

2.音楽映像自体は売上を伸ばしていないが、映像が与える影響は大きい

音楽映像は商品としてはその市場性を伸ばしてはいない。しかし見逃してはならないことは、音楽映像は音楽CDというオーディオ商品の市場性を伸ばすことには、大きく寄与しているということである。

音楽映像は露出の場が少ないという悪条件が改善されない日本のメディア環境のなかで、それでもレコード会社は新人アーティストがデビューするときや、これといったスター・アーティストが新曲をリリースするときは、必ずといっていいほどビデオクリップを制作する。

そしてプロモーション活動のなかで、それを1回でも多くユーザーの目に触れさせるための努力を怠らない。

現在では地上波のテレビではランキング番組などの音楽情報番組では、ビデオクリップのサワリを流すことも行われるようになったし、衛星放送のスペースシャワーという、音楽ビデオが全曲流れる番組も生まれている。

また音楽ビデオはプロモーションのツールであると同時に、重要な販売促進ツールの役割も担っている。

特に認知度の低い新人アーティストの場合は、レコード店で商品の受注をする際にも、商品発注担当者や販 売員へのプレゼンテーションの手段として、アーティストの映像は役立っている。

音と紙資料だけでは伝わらない情報を、映像は伝えてくれるからである。その点で、いまやビデオは販売ツールとしても不可欠のアイテムになりつつある。

同時にビデオは、レコード会社内においても、アーティストや楽曲の本質や方向性についての認識を共有することに大いに有効である。自分の制作意図をプロモーターや営業マンにきっちりと伝えるのにも、ビデオは最も手っ取り早いというディレクターも多い。

一方、テレビCMのなかにも、程度の差こそあれ、音楽映像のカテゴリーとして捉えられるものが増える傾向にある。特に80年代終盤から90年代にかけては、テレビコマーシャルと音楽の結びつきがますます強まり、いわゆるタイアップの時代といわれる状況が生じた。

またこの時期にはドラマをはじめとする各種のテレビ番組と、レコード会社が発売するCD楽曲とのタイアップも、頻繁に行われるようになった。

番組のテーマ曲や主題歌として、このタイアップ楽曲が流れている場面のテレビ映像を切り取ってみれば、それは紛れもなく音楽映像であり、ビデオクリップなのである。

このようなテレビ映像の音楽映像化ともいうべき事態は以前からも見られたことだが、この時期になるとそのタイアップ曲のヒット化の確率がグンと高まったことによって、ますますその傾向は強まってきている。

結果としてCDのヒット曲チャートの上位に入るものは、そのほとんどがテレビコマーシャルかテレビ番組とのタイアップがあるものという状 況になった。ラジオというメディアで音楽=オーディオだけが繰り返し流れても、このようなヒット曲が生まれる確率はずっと低いだろうし、そこまでいくには時間もかかるだろう。

テレビという映像メデイアだからこそ、音楽が効果的にしかも大量に放映されることが、CD=音楽の売上げを大きく促進したといえるだろう。

このように、音楽映像は市場における商品としては、長い間伸び悩んでいるが、音楽をヒットさせるには貢献するところ大であり、オーディオ音楽=CDの市場を大いに伸長させてきたということができる。

言い換えれば、音楽映像はCDを売り伸ばすための触媒としての役割の方が、それ自体が商品として市場を形成する比重よりもはるかに大きいということである。

90年代に入ってから毎年20曲前後出現している、CDシングル盤のミリオンセラー作品についても、そのほとんどが何らかの形でテレビにかかわるタイアップ・ソングであると同時に、そのすべてについてビデオクリップが制作されている。

それらの映像はレコード会社のプロモーターの手によって、さまざまなメディアを通して音楽ファンのもとに届けられ、これらの楽曲のヒット化、ミリオンセラー化に貢献しているのである。




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