1.音楽はすべての芸術をつかさどる
絵画、詩、小説…ありとあらゆる「芸術」がこの世には存在するが、音楽は、他の芸術とは一線を画するように感じられる。最も生命原理に近い、生命哲学の根幹にかかわる。

実際、古代ギリシャ以来、音楽は、芸術論の中枢だと認識されてきた。特にヨーロッパ文化においては、音楽を芸術の一ジャンルとしながらも、倫理や精神、さらには創造性の原点としてとらえる思想が、今日にも受け継がれている。

それは、「音楽」の語源にも象徴されている。英語でいえば、「music(ミュージック。これは、ギリシャ語の「musike(ムシケー)」から生まれた言葉であり、「ムーサの技」「ムーサがつかさどるもの」という意味だ。

ムーサとは、「ミューズ」のギリシャ語名「ムーサイ」の単数形。すなわち、ギリシャ神話における人間の知的活動をつかさどる女神のことであり、「musike」という言葉には、詩や舞踊といった美的行為も含まれていたことがわかる。

つまり、「music」という語それ自体は、知的表現と不可分な意味合いを持つ言葉であって、「音」という意味は持たない。ここが、日本語で「音楽」という時に想起されるもの。リズムや音程といった、「music」と比べると限定的で狭義のイメージーとの違いかもしれない。芸術の神ミューズから直接降り立つもの。命にかかわるもの。

古来、音楽を奏でること、音楽を聴くことは、生の本質であるとさえ考えられていたのである。音というものを梯子にして地上に降り立った女神、すなわち「music」の抽象の微笑を探し続けている。

それを生み出すものは音だけではなく、思考や情動、生命の躍動とも呼ぶべきものではないだろうか。このように考える時、音楽は芸術の一形態を超えた存在として顕れてくる。


2.脳の中のシンフォニー
脳内には、一千億個のニューロンのつなぎ目である、シナプスという構造がある(語源はギリシャ語のスナプティン)。このニューロンとシナプスの関係において神経伝達物質がやりとりされる結果、興奮や不安などの精神状態が生じることが、脳科学の分野においてわかってきている。

脳の中では、一千億個のニューロンの間で、常に物質が伝達されている。その状態は、多様なリズムのビートが、絶え間なく発生しているようなものだと想像してほしい。神経伝達物質は、ニューロンが放出する小胞体の中にある。シナプスに放たれた神経伝達物質は拡散し、その一部が、先方のニューロンの細胞膜にある受容体に結合する。

さらにそれが新たなシグナルとなり、また次のニューロンへと情報を受け渡していく。
神経伝達物質の種類は数百に上る。精神機能にかかわるものだけでも、グルタミン酸、ガンマーアミノ酪酸(ギャバ)、セロトニン、ドーパミンなど、数種に及ぶことが明らかになってきた。

それらは、神経細胞から神経細胞へ、「あいよ、あいよ」とバケツリレーのように運ばれていくが、どのニューロンの受容体に結合し、どの神経回路をどのようなタイミングで活性化させるかによって、結果は変わっていく。同じ動きは一つとしてあり得ない。空の星よりもはるかに多い無限の可能性が行き交っている。

非常に複雑なネットワークが構築された脳内では、休むことのないリズムの発生とビートの融合による、シンフォニーのような現象が常に起きている。ゆえに、「脳の働きは音楽である」という表現は、必ずしも比瞼にとどまらない。

その結果、文章を書き、音楽を聴き、なにかを思う。普段はごく当たり前のものとしてあるそうした行為も、すべては脳の中の精密なシンフォニーによって生じたと考えると、いっそ驚異とさえ感じられるのである。脳の中のシンフォニーが生み出した意識によって、私たちは、ピアノの音色やヴァイオリンの弦の震えを、マリア・カラスの歌を、ルチアーノ・パヴァロッティの声を、感じることができる。私たちが認知できるあらゆる事象は、意識によるものである。

意識というものは、もとは神経細胞の活動にすぎないものが、結果的には一つの個性を持ち、独自の感覚を生み出すに至る。知覚するすべての現実が、意識によって生まれたものである。音も同じである。もともとは単なる波動でしかないものが、ある明確な個性を持つ。音というのは、すべて一次元上の周波数の分布にすぎない。

しかし、その波が楽器の音色となり、その音色が積み重ねられることで、シンフォニーの響きとなるのである。一千億の神経細胞からどのように意識が生まれてくるのか、という問題は、現在も解明されていない。

ただし、一次元では数量化できていたものが、結果的に数量化できないものになるという点において、意識と音楽は本質的に似ているということは断言したい。どちらも、量子力学の波動と粒子の関係に示唆されるように、一方に波が、一方に粒子があり、双方が非常に深くかかわっている。

つまり、音楽の本有性を考えることは、意識を解明するヒントにつながる可能性がある。ここにおいても、生命の本質と音楽との濃密なかかわりが見えてくるのである。


この記事を見た人は、下記にも注目しています!