1.なぜ日本人は音楽を聴くより歌うほうが好きなの?
音楽を聴くより歌う方が好き日本には鉄道の駅が約9600ほどあります。一方で日本全国でカラオケボックスの数は9800ヶ所あり、どんな田舎の駅でも駅前には必ず1つはカラオケボックスがあるという計算になります。

おそらくこれほどまでカラオケボックスがある国というのは他にはないでしょう。またレジャー白書の余暇活動ランキングではカラオケはドライブに次ぐ4位にランクインしており、日本人の娯楽の横綱的な存在です。

ちなみに音楽鑑賞は9位です。数字の面でもレコードの売り上げの倍近くがカラオケの売り上げである点を考えてみても日本人にとって音楽とは聴くものというよりも歌うという要素が強いといえます。

また特徴的なことはよく売れている曲とよく歌われている曲が良好な相関関係にある点です。つまりカラオケは日本の消費者に音楽を運ぶ最大のマスメディアなのです。これを超えるのはテレビやラジオしかありません。

カラオケ技術
カラオケボックスは岡山で初めて誕生し、津波のように普及した1980年代、その外見は現在の機械とは随分と違ったものでした。

当時人気があったのはレーザーディスク(LD)カラオケであり、1982年に誕生し、アナログ信号で記録された音楽と画像を光ディスクに記録したものであった。同時期にはCDやテープを使用したものもあったが、欠点も多くありました。

①LDやCDが増えると場所がかさばる。よって店における曲の数には限界がある

②オートチェンジャーがない店では店員なり客なりが手足を動かして曲を交換したり再生したりしないといけない

③新しい曲が発売されてもカラオケになるまでにタイムラグが生じる

この3点の中でも特に若者には③が一番の不満のタネでした。カラオケになるのを待っていると新曲が旧譜になってしまう。

カラオケに行っても歌いたい曲がおいていないという問題が生じた。しかしこれらすべてを一気に解決してくれるのが通信カラオケの登場です。通信カラオケは音楽がデジタルデータ化されてカラオケ店にある端末に自動で送られてくるので、CDやLDを配達する手間がかからず、ハードディスクに記録するため、容量も一杯になるまでたくさん記録でき、タイムラグがほとんどなくなった。新曲発売と同時に歌うぐらいである。→通信カラオケについての詳しい説明

このカラオケ技術は現在では世界にも広がりをみせており、日本が誇れる技術の1つとなりました。通信カラオケの端末はMIDIという言語に翻訳された楽譜データを送り込み、自動演奏させる仕組みです。

MIDIとは
データ化された楽器の音源を演奏させるためのデジタル命令文と考えればよく、細かくみると、小節や拍、音名、強さなどをアルファベットと数字で表したコンピュータ言語です。

基本的なMIDI音源には16チャンネル用意されており、同時にそれぞれのチャンネルに音楽データが送れるので、16種類の楽器の演奏が同時にできる。つまり合奏を自動演奏できる。この設計がなければ通信カラオケは不可能であった。




2.そしてカラオケが趣味から業務に変化した
カラオケは真剣な趣味から既に真剣な業務となり、訓練の対象となっている。熱意ある素人歌手に発声訓練を提供する教室と呼ばれる個人経営の指導所が出現し、TVではプロがカラオケファンに指導する「カラオケコーナー」と呼ばれる番組があり、歌い方の技術を伝授する「カラオケ上達法」という書物があり、カラオケの通信教育まで存在する。

カラオケは一連の指導によって 定式化されるパフォーマンスである。このような指導はパフォーマンスの技術的、社交的側面を網羅したもので、定評ある専門家によって提供されるTV番組や通信教育の場合は通常は著名なプロ歌手であり、個人的な教習所の場合はセミプロの歌手や音楽、歌唱教師である。

指導と助言の幅は極めて広く、発声の技術とそのタイミングや音程から、ステージでの姿勢、パフォーマンススタイル、マイクの位置、さらにカラオケ歌唱というコンテストにおける自己表現の、想像しうるあらゆる側面の指導に及んでいる。→マイクの正しい使い方を伝授


3.カラオケボックスが変えたものとは
カラオケの普及にともなって、カラオケを楽しむ場所も次第に多様化する傾向が進んだ。当初から家庭でのカラオケもある程度は行われたが、あくまでも日が暮れてから酒を飲む場所である、バーやスナックなどが主な場所だった。

やがて料理店やレストランにもカラオケ装置が置かれるようになり、さらにホテルや旅館の広間や娯楽室にも広がった。一方で家庭でのカラオケも盛んになる。ところが85年になって、岡山市内にそれまでのどのカラオケの場とも性格を異にする、新しいタイプのカラオケ・ショップが出現した。

それは「イエローBOX」という名前の店で、貨物トラックのコンテナをはずして空き地に置いただけの素朴で風変わりな作りで、そのなかでお客は思い切り好きな歌を歌えるという店だった。

これが90年代にかけて全国に広がった、カラオケボックスの現型といわれる。 カラオケボックスが従来のカラオケの場と根本的に違う点は、お客がカラオケを歌うだけの目的でそこを訪れるという点である。

ここではカラオケは酒宴の余興ではなく、完全に独立した遊びになった。また従来のカラオケはその店に居合わせたすべての人の前で歌うものだったが、カラオケボックスでは仲間だけが個室に入り、他人の混じらない仲間内だけで心おきなく楽しむ形態が誕生した。このようにカラオケボックスの出現は、カラオケの特質に新たな側面を生んだといえる。

カラオケボックスは昼間から営業し、お酒の類は置かずにソフトドリンクだけが供されることが一般的だった。

そのため学校帰りの若者や、若い女性や主婦のグループなど、従来の夜のカラオケの場にはあまり姿を現さなかった階層が来店し、カラオケを楽しむようになった。

特に若者が好んでカラオケボックスを利用するようになって、若者の行動のパターンが変わり、いろいろな意味で若者の生活。文化に大きな変化が生まれた。また多くの若者の参加は当然のことながらカラオケ人 口全体の増加をもたらした。

カラオケボックスの数も、90年には全国で約52,000室、93年には約128,000室と急激に増え、さらに96年には約160,000室に達してピークを迎える。

これらの店のなかには、飲食店や他の業種の店からの転向も多かったという。その代表例は、食品業界で学校給食や会社給食を本業としていたシダックスがカラオケ・ビジネスに参入し、バラエテイ豊かな飲食の提供を売り物にして、成功を収めたことがあげられよう。

この間にカラオケボックスのタイプもますます多様化していく。若者を対象とする機能中心で料金の安いタイプの店、サラリーマンを中心とする大人を対象とし、飲食も充実して落ち着いた作りの店、学生、サラリーマン、OL、主婦など多様な客層に対応して、いろいろなタイプのボックスを持つ都会型の大型店などが出現した。折りから日本経済が迎えたバブル景気にも煽られて、90年代当初のカラオケボックスの盛況は目を見張るものがあった。



この記事を見た人は、下記にも注目しています!