カラオケはレコード会社が曲をヒットさせようという戦略だった
1. 80年代までの経緯を経て、レコード産業も90年代に突入する。90年代に入ってからも、日本のレコード産業の規模は順調に拡大していく。
95年には5,740億円を記録し、90年代前半の5年間に約2,000億円ほど伸長する。しかし96年以降その足取りは重くなる。96年が5,839 億円、97年が5,880億円と微増が続き、98年にやっとのことで6,000億円の大台に到達する。
わずか250億円の市場拡大に4年もかかるほど、成長のペースは鈍化した。要するに90年代のレコード市場は、前半は順調な成長の時代、後半はかろうじて前年比を割らない程度の低成長の時代ということになる。
このなかでJ-POPの動向はどうだろう。いわゆる伝統音楽の占める割合は、今日ではほんの微々たるもので、そのほとんどは日本製のポピュラー音楽、つまりJ-POPである。
ここではっきりあらわれているように、90年代前半の5年間は邦楽・洋楽市場とも、手を携えて成長しているのに対し、後半になると邦楽市場は成長を続けるが、洋楽市場は下降を始める。邦楽の上昇が洋楽の下降をカバーし、全体の市場の下降をかろうじて食い止めたかっこうである。
このように90年代後半のレコード産業の成長の鈍化は、洋楽の下降によるものであり、邦楽の市場だけを取り上げれば、90年代を通じてずっと右上がりのカーブを描き続けていることがわかる。
これによって日本のレコード市場における邦楽と洋楽の比率も変化し、90年には邦楽対洋楽は生産高比率で7:3だったが、99年にはほぼ8:2となり、邦高洋低の型が進んだ。 このような90年代の市場での邦楽主導を端的にあらわしているのが、ミリオンセラーの動向である。
CD市場におけるミリオンセラーの数は、 90年代に入って増加の傾向にある。特にアルバムのミリオンセラーの出現数は、92年に12タイトルだったが、93年と96年を除いて毎年増え、99年には30タイトルとなった。このうちの大半は邦楽の作品である。
96年以降を例にとれば、洋楽のミリオンセラーは、アルバムでは97年のマライアキャリーの「バタフライ」、98年の同じマライアキャリーの「The Ones」、99年のエリック・クラプトンとセリーヌ・ディオンの両スーパースターの、それぞれの「ベストアルバム」があるのみであり、4年間の全ミリオンセラー103タイトルのうち、洋楽は4タイトルに過ぎない。シングルCDのミリオンセラーについていえば、 4年間では洋楽は1タイトルも見当たらない。
このように90年代の市場をリードするメガ・ヒット商品は邦楽、すなわちJ‐POPがほぼ独占するようになった。
2.ミリオンセラーについては、タイトル数が増えただけではない。年を追うごとにその売上げのスケールもアップする傾向が顕著である。ダブルミリオン(200万枚以上)、 トリプルミリオン(300万枚以上)などが増加する傾向にあり、400万枚、500万枚のメガ・ミリオンセラーもあらわれ、99年にはついに800万枚という、驚異的な作品の出現をみる。
これによりミリオンセラーの作品全体が、市場の売上げのなかで占める割合も上昇している。限られたJ-POPの商品が、売上げの量についても市場をリードする状況が、さらに顕著になった。
そのなかで現象として比較的はっきりあらわれているのは、カラオケと演歌の関係であろう。
少なくとも80年代には、カラオケで最も歌われることが多かったジャンルは演歌だった。これは当時のカラオケソフトのリクエストの実態や、発売されるカラオケ・テープの曲種を見ても明らかである。→音楽のジャンル一覧
それはカラオケ人口の多くが、夜の酒場を訪れる中高年の男性だったということからも容易に想像がつく。ただしカラオケで演歌が歌われたからといって、世の中のヒット曲のなかで演歌の比率が上がり、レコード店で演歌の売上げが増えたという明確なデータも見当たらない。
確実なことはレコード会社が、特定の演歌を流行らせようとする場合に、カラオケを媒体として使うことが広く行われたことである。
レコード会社の関係者や作詞家・作曲家に聞くと、それは曲作りの段階から始まっていた。例えばプロの演歌歌手が新曲をレコーディングする場合に、音域や節回しなどを配慮して、アマチュアでも歌いやすくすることは、しばしば行われた。
またカラオケの場が盛り上がるように、客とホステスが一緒に歌える男女のデュエット曲を多く作ることも、意識的に行われた。
新曲の宣伝プロモーションにカラオケの場を使うことも、頻繁に行われた。昔から演歌歌手は新人もベテランも新曲キャンペーンと称して、飲み屋や酒場を回ってギターの伴奏で自分の新しい持ち歌を聴かせて歩くという、流しにも似た地道な宣伝活動を行っていたが、カラオケの時代になってからは、どの店にもカラオケ装置が置かれ、マイクやアンプやスピーカーが揃い、歌手は自前のカラオケ・テープを持参するだけで、効果的なキャンペーン活動が可能になった。
このような点ではカラオケの隆盛は、演歌にとってプラスの要因として働いたといえるだろう。
一方、90年代に入ってからのカラオケボックスの拡大は、カラオケ・ソフトの傾向やヒット曲の傾向に少なからぬ影響を及ぼしたことも指摘されている。
若者のカラオケヘの参加によって、カラオケで歌われる楽曲に変化が生まれた。大人が好む演歌やナツメロの歌謡曲が中心だったカラオケのソフトは、若者の参加によってポップス、ニューミュージック、ロックなどが加わり、レパートリーの幅がJ‐POP全般に一挙に広がった。
従来の夜だけのカラオケの時代は、カラオケの場で歌われていた大人向きの歌は、若者が好むリアルタイムのヒット曲とは縁のないものだったが、これ以降は世の中でヒットしている歌が、そのままカラオケにも持ち込まれるようになった。レコード店で売れる曲と、カラオケで歌われる曲が、一致するようになったという言い方もできる。
このような変化によって、カラオケはその時々のヒット曲の動向に、多かれ少なかれ関与するようになった。
例えばカラオケのリクエストの頻度が、ヒットチャートのランキングのデータとして取り入れられるようになった。その結果ヒット曲を創り出そうとする側が、カラオケで好まれそうな要素を意識する、などということも起こるようになった。
しかし、一方ではこのころから、ヒットチャートの上ではミリオンセラー級のヒット曲であっても、カラオケボックスに足を運ぶ若者の間でしかその曲が知られていないという現象が生まれた。
いわゆる「ヒット曲の密室化」と呼ばれる現象である。もちろんこれにはテレビの歌謡番組の減少や、外国曲の影響による曲作りの傾向の変化なども関係しているといわれるが、個室化して若者のグループが閉じこもるようになったカラオケボックスの増加が、この傾向を助長したという指摘も多い。
またカラオケ人口の増加とカラオケの定着は、人々の歌唱力をレベルアップしたといわれる。
その結果従来では歌うのが難しかった曲でも、好んで歌われるようになり、歌いやすいということは、必ずしもカラオケで頻繁に歌われる要因ではなくなった。
逆に難しくても歌いばえのする歌が好んで歌われ、仲間うちで歌のうまさと曲の新しさを競うことが、若者の間の風潮となった。そこで人気を得た曲がヒットするという傾向も生まれた。これもカラオケがヒット曲の動向にかかわるようになったことを物語るものである。
もちろんAM放送の音楽番組や、テレビの音楽情報番組へのアプローチも頻繁に行われた。 テレビ番組やテレビCFとタイアップの場合は、一度セットアップされてしまえば、一定の期間その曲は、自動的に繰り返し放送されることになる。
しかしノン・タイアップのオンエア作戦の場合は、対象の曲を音楽番組で放送してもらうために、個別のアプローチが必要であり、この仕事をレコード会社が実行しなければならない。
それは言うまでもなくプロモーターの仕事である。ここにレコード会社の宣伝の存在が、改めてクローズアップされることになった。彼らはラジオ局、テレビ局を訪れ、音楽番組やDJ番組の構成者、選曲者、出演者などに音源や資料を届けて、オンエアの工作に精力を集中するようになった。
タイアップ時代には、あくまでも補足的な仕事にみなされがちだった宣伝マン のラジオ局工作という地道な仕事が、再評価されることになった。欧米ではテレビの出現以降、ラジオ局は音楽専門のステーションが多くなり、ヒット曲はラジオから生まれる確率が高くなった。
ビデオクリップというツールが現れて、テレビの役割も無視できなくなっているが、「ヒット曲はラジオから」の構図は脈々と生き続けている。 日本ではタイアップからヒットが生まれるという特異現象が起こり、その間ラジオの存在は忘れられがちだったが、ここに来てラジオヘの回 帰が起こりつつある。
それは宣伝のあり方が、テレビが登場する以前の時代に戻ったという言い方もできる。
これはレコード会社のヒット作りが、原点へ復帰しつつある、という言い方が当たっている。レコード会社はヒットさせたい曲を、自らの手で直接音楽ファンに「聴かせる」「聴いてもらう」という、宣伝の基本を思い出し、その実践を再開する方向に向かっているのである。 成功以降、タイアップを持たない曲やアーティストのデビューは多くなっている。
そしてそのなかから、いくつかのヒット曲も生まれている。 ライブハウスヘの出演とFMラジオのオンエアという、オーソドックスなプロモーションを時間をかけて展開した結果、大ブレイクが起こった のである。
タイアップを避けるということは、レコード会社にとって、宣伝部の活性化のほかにも、いくつかの利点が生まれる。
例えばテレビドラマや テレビCFとタイアップすると、使用するCDの原盤権が、外部の音楽プロダクションや音楽出版社によって保有されてしまったり、それらの会社とレコード会社と共同で保有することが多い。タイアップではレコード会社は多くの場合受け身であるため、そのような原盤の喪失や共有が起こりがちである。反対にタイアップがなければ、レコード会社は原盤を持つ確率が高くなる。
95年には5,740億円を記録し、90年代前半の5年間に約2,000億円ほど伸長する。しかし96年以降その足取りは重くなる。96年が5,839 億円、97年が5,880億円と微増が続き、98年にやっとのことで6,000億円の大台に到達する。
わずか250億円の市場拡大に4年もかかるほど、成長のペースは鈍化した。要するに90年代のレコード市場は、前半は順調な成長の時代、後半はかろうじて前年比を割らない程度の低成長の時代ということになる。
このなかでJ-POPの動向はどうだろう。いわゆる伝統音楽の占める割合は、今日ではほんの微々たるもので、そのほとんどは日本製のポピュラー音楽、つまりJ-POPである。
ここではっきりあらわれているように、90年代前半の5年間は邦楽・洋楽市場とも、手を携えて成長しているのに対し、後半になると邦楽市場は成長を続けるが、洋楽市場は下降を始める。邦楽の上昇が洋楽の下降をカバーし、全体の市場の下降をかろうじて食い止めたかっこうである。
このように90年代後半のレコード産業の成長の鈍化は、洋楽の下降によるものであり、邦楽の市場だけを取り上げれば、90年代を通じてずっと右上がりのカーブを描き続けていることがわかる。
これによって日本のレコード市場における邦楽と洋楽の比率も変化し、90年には邦楽対洋楽は生産高比率で7:3だったが、99年にはほぼ8:2となり、邦高洋低の型が進んだ。 このような90年代の市場での邦楽主導を端的にあらわしているのが、ミリオンセラーの動向である。
CD市場におけるミリオンセラーの数は、 90年代に入って増加の傾向にある。特にアルバムのミリオンセラーの出現数は、92年に12タイトルだったが、93年と96年を除いて毎年増え、99年には30タイトルとなった。このうちの大半は邦楽の作品である。
96年以降を例にとれば、洋楽のミリオンセラーは、アルバムでは97年のマライアキャリーの「バタフライ」、98年の同じマライアキャリーの「The Ones」、99年のエリック・クラプトンとセリーヌ・ディオンの両スーパースターの、それぞれの「ベストアルバム」があるのみであり、4年間の全ミリオンセラー103タイトルのうち、洋楽は4タイトルに過ぎない。シングルCDのミリオンセラーについていえば、 4年間では洋楽は1タイトルも見当たらない。
このように90年代の市場をリードするメガ・ヒット商品は邦楽、すなわちJ‐POPがほぼ独占するようになった。
2.ミリオンセラーについては、タイトル数が増えただけではない。年を追うごとにその売上げのスケールもアップする傾向が顕著である。ダブルミリオン(200万枚以上)、 トリプルミリオン(300万枚以上)などが増加する傾向にあり、400万枚、500万枚のメガ・ミリオンセラーもあらわれ、99年にはついに800万枚という、驚異的な作品の出現をみる。
これによりミリオンセラーの作品全体が、市場の売上げのなかで占める割合も上昇している。限られたJ-POPの商品が、売上げの量についても市場をリードする状況が、さらに顕著になった。
3.カラオケ人口増加で歌唱力がアップし難しい曲でも歌われるようになった
カラオケは歌の流行に影響を与えたといわれるが、その因果関係を証明することはなかなか難しい。その解明にはいろいろな角度からの検証が必要であり、音楽社会学や音楽マーケティング論などの研究のテーマにもなっている。そのなかで現象として比較的はっきりあらわれているのは、カラオケと演歌の関係であろう。
少なくとも80年代には、カラオケで最も歌われることが多かったジャンルは演歌だった。これは当時のカラオケソフトのリクエストの実態や、発売されるカラオケ・テープの曲種を見ても明らかである。→音楽のジャンル一覧
それはカラオケ人口の多くが、夜の酒場を訪れる中高年の男性だったということからも容易に想像がつく。ただしカラオケで演歌が歌われたからといって、世の中のヒット曲のなかで演歌の比率が上がり、レコード店で演歌の売上げが増えたという明確なデータも見当たらない。
確実なことはレコード会社が、特定の演歌を流行らせようとする場合に、カラオケを媒体として使うことが広く行われたことである。
レコード会社の関係者や作詞家・作曲家に聞くと、それは曲作りの段階から始まっていた。例えばプロの演歌歌手が新曲をレコーディングする場合に、音域や節回しなどを配慮して、アマチュアでも歌いやすくすることは、しばしば行われた。
またカラオケの場が盛り上がるように、客とホステスが一緒に歌える男女のデュエット曲を多く作ることも、意識的に行われた。
新曲の宣伝プロモーションにカラオケの場を使うことも、頻繁に行われた。昔から演歌歌手は新人もベテランも新曲キャンペーンと称して、飲み屋や酒場を回ってギターの伴奏で自分の新しい持ち歌を聴かせて歩くという、流しにも似た地道な宣伝活動を行っていたが、カラオケの時代になってからは、どの店にもカラオケ装置が置かれ、マイクやアンプやスピーカーが揃い、歌手は自前のカラオケ・テープを持参するだけで、効果的なキャンペーン活動が可能になった。
このような点ではカラオケの隆盛は、演歌にとってプラスの要因として働いたといえるだろう。
一方、90年代に入ってからのカラオケボックスの拡大は、カラオケ・ソフトの傾向やヒット曲の傾向に少なからぬ影響を及ぼしたことも指摘されている。
若者のカラオケヘの参加によって、カラオケで歌われる楽曲に変化が生まれた。大人が好む演歌やナツメロの歌謡曲が中心だったカラオケのソフトは、若者の参加によってポップス、ニューミュージック、ロックなどが加わり、レパートリーの幅がJ‐POP全般に一挙に広がった。
従来の夜だけのカラオケの時代は、カラオケの場で歌われていた大人向きの歌は、若者が好むリアルタイムのヒット曲とは縁のないものだったが、これ以降は世の中でヒットしている歌が、そのままカラオケにも持ち込まれるようになった。レコード店で売れる曲と、カラオケで歌われる曲が、一致するようになったという言い方もできる。
このような変化によって、カラオケはその時々のヒット曲の動向に、多かれ少なかれ関与するようになった。
例えばカラオケのリクエストの頻度が、ヒットチャートのランキングのデータとして取り入れられるようになった。その結果ヒット曲を創り出そうとする側が、カラオケで好まれそうな要素を意識する、などということも起こるようになった。
しかし、一方ではこのころから、ヒットチャートの上ではミリオンセラー級のヒット曲であっても、カラオケボックスに足を運ぶ若者の間でしかその曲が知られていないという現象が生まれた。
いわゆる「ヒット曲の密室化」と呼ばれる現象である。もちろんこれにはテレビの歌謡番組の減少や、外国曲の影響による曲作りの傾向の変化なども関係しているといわれるが、個室化して若者のグループが閉じこもるようになったカラオケボックスの増加が、この傾向を助長したという指摘も多い。
またカラオケ人口の増加とカラオケの定着は、人々の歌唱力をレベルアップしたといわれる。
その結果従来では歌うのが難しかった曲でも、好んで歌われるようになり、歌いやすいということは、必ずしもカラオケで頻繁に歌われる要因ではなくなった。
逆に難しくても歌いばえのする歌が好んで歌われ、仲間うちで歌のうまさと曲の新しさを競うことが、若者の間の風潮となった。そこで人気を得た曲がヒットするという傾向も生まれた。これもカラオケがヒット曲の動向にかかわるようになったことを物語るものである。
4.タイアップを避けるレコード会社
宣伝についてはラジオを中心とする集中的オンエア作戦がとられた。特に音楽番組が多く若者のリスナーの多いFMラジオと、注目されるきっかけともなった有線放送は、この作戦の主要ターゲットとなった。もちろんAM放送の音楽番組や、テレビの音楽情報番組へのアプローチも頻繁に行われた。 テレビ番組やテレビCFとタイアップの場合は、一度セットアップされてしまえば、一定の期間その曲は、自動的に繰り返し放送されることになる。
しかしノン・タイアップのオンエア作戦の場合は、対象の曲を音楽番組で放送してもらうために、個別のアプローチが必要であり、この仕事をレコード会社が実行しなければならない。
それは言うまでもなくプロモーターの仕事である。ここにレコード会社の宣伝の存在が、改めてクローズアップされることになった。彼らはラジオ局、テレビ局を訪れ、音楽番組やDJ番組の構成者、選曲者、出演者などに音源や資料を届けて、オンエアの工作に精力を集中するようになった。
タイアップ時代には、あくまでも補足的な仕事にみなされがちだった宣伝マン のラジオ局工作という地道な仕事が、再評価されることになった。欧米ではテレビの出現以降、ラジオ局は音楽専門のステーションが多くなり、ヒット曲はラジオから生まれる確率が高くなった。
ビデオクリップというツールが現れて、テレビの役割も無視できなくなっているが、「ヒット曲はラジオから」の構図は脈々と生き続けている。 日本ではタイアップからヒットが生まれるという特異現象が起こり、その間ラジオの存在は忘れられがちだったが、ここに来てラジオヘの回 帰が起こりつつある。
それは宣伝のあり方が、テレビが登場する以前の時代に戻ったという言い方もできる。
これはレコード会社のヒット作りが、原点へ復帰しつつある、という言い方が当たっている。レコード会社はヒットさせたい曲を、自らの手で直接音楽ファンに「聴かせる」「聴いてもらう」という、宣伝の基本を思い出し、その実践を再開する方向に向かっているのである。 成功以降、タイアップを持たない曲やアーティストのデビューは多くなっている。
そしてそのなかから、いくつかのヒット曲も生まれている。 ライブハウスヘの出演とFMラジオのオンエアという、オーソドックスなプロモーションを時間をかけて展開した結果、大ブレイクが起こった のである。
タイアップを避けるということは、レコード会社にとって、宣伝部の活性化のほかにも、いくつかの利点が生まれる。
例えばテレビドラマや テレビCFとタイアップすると、使用するCDの原盤権が、外部の音楽プロダクションや音楽出版社によって保有されてしまったり、それらの会社とレコード会社と共同で保有することが多い。タイアップではレコード会社は多くの場合受け身であるため、そのような原盤の喪失や共有が起こりがちである。反対にタイアップがなければ、レコード会社は原盤を持つ確率が高くなる。
この記事を見た人は、下記にも注目しています!